一日独占券

2022年三上くん誕生日記念(大遅刻)。拓斗誕の続き。


「……一日独占券?」
  先ほど渡したばかりの誕生日プレゼントを手に持ったまま、蒼司がなにやら訝しげに首を傾げている。なんとなくその姿が可愛い、なんて。心の中で密かに思いながら、拓斗はそっと目を細めた。

  九月十七日。――そう、今日は拓斗の幼馴染兼親友兼恋人こと蒼司の誕生日である。
  大好きな彼の誕生日という一大イベントを迎えるにあたり、拓斗は今日に至るまでの数週間、様々な計画を練ってきた。どんなプレゼントをあげたら喜んでくれるのだろうとか、どうやって渡せばいいのだろうかとか。毎年のように誕生日を祝ってはいるけれど、今年は特に力が入ってしまうのも無理はないだろう。なぜなら今年は、蒼司との関係に「恋人」という新たな肩書を迎えてから初めて迎える誕生日なのだ。きっと蒼司本人以上に、彼の誕生日について思いを巡らせていたに違いない。
  蒼司のおかげでたいそう素敵な思い出ができた自分の誕生日から、早ふた月弱。時の流れとはあっという間なもので、気がつけばあの照りつけるような燦々とした陽射しはどことなく鳴りを潜め、少しずつ穏やかな秋の色が垣間見えるようになっていた。あの日の蒼司がしてくれたように、今度は拓斗の手で彼の誕生日を特別な一日にしたい。そんな強い思いを抱えたまま、拓斗は日付が変わったのとほぼ時を同じくして、菩提樹寮内に割り当てられた蒼司の部屋へと押しかけた。というのが、つい先刻の話である。
「え、なにこれ」
「俺の一日を蒼司にあげる券!  ほら、俺の誕生日のとき、蒼司の一日をもらってめちゃくちゃ嬉しかったからさ。おんなじことしたくて」
  落ち着いた濃紺でラッピングした品に添えた、名刺サイズの紙片。手書きで「一日独占券」と書かれたそれは、拓斗自らが色鮮やかなデコレーションを施した、世界にたったひとつのカードである。悩みに悩んで選び抜いたプレゼントだけではまだなんとなく物足りなさを覚えていたところ、数日前にようやく思いついたアイディアだった。すると蒼司は深々としたため息とともに、思わずといった様子で天を仰ぐ。
「いや、発想が小学生の肩たたき券……」
「ほんとは蒼司みたいに手紙を書こうかとも思ったんだけど、結局うまく纏まんなくて。……いやあ、それにしても誕生日プレゼントの中に手紙が入ってたのは本当に嬉しかったなあ」
「……俺の話はいいよ、もう」
  蒼司はぶっきらぼうに言い切って、拓斗の視線から逃れるように軽く目を逸らした。けれどもその横顔から覗くほのかな頬の赤みを見とめて、拓斗は自然と笑みがこぼれる。
  あからさまな照れ隠しの仕草も、かすかに震える長い睫毛も、全部が愛おしくてたまらなかった。蒼司とは幼い頃からずっと傍にいるけれど、いつまで一緒にいても飽きる気配などない。それどころか募る想いは心の中で際限なく育っていくようで、自分でもまったく呆れかえるほどだ。綺麗な便箋に綴られた彼の想いを頭の中で思い返しながら、拓斗は半ばわざとらしく言葉を投げかける。
「嬉しくなかった?」
「そうは言ってないだろ。……まあ、嬉しいよ。お前が俺のこと考えてくれたのは伝わるから」
「っ、蒼司大好き……!」
「わ、急に抱きつくなって!」
  触れたい。そう思った瞬間には、既に蒼司の身体は拓斗の腕の中へと収まったあとだった。あまりにも衝動的な拓斗の行動でさえしっかりと受け止めてくれる辺り、さすがの対応力というべきだろうか。それにしても抱きしめたぬくもりが本当に心地よくて、拓斗は思わずそっと息をつく。
  ふたりの間を横たわる、ほんの少しの穏やかな静寂。互いの呼吸音と心音ばかりがはっきりと伝わってきて、大切なひとの存在を一番近くで感じるようで。今確かに触れ合っているのだという事実が、拓斗の心をひどく満たした。
  それからしばらくして、蒼司の静かな声があたたかな空気を緩やかに解いていく。
「……そういえば、」
「ん?」
「この券、結局どうやって使えばいいの? 期限とかある?」
  蒼司は手元の券を一瞥したのち、すぐに拓斗へと視線を寄越した。まっすぐ向けられた深い色の双眸は、なんともうつくしい光を湛えている。好きだな、とまたひとつ愛おしさを積み上げながら、拓斗もまた微笑みを添えて見つめ返した。
「蒼司が使いたいなって思ったときに使ってくれていいよ」
「例えば?」
「例えば……うーん。買い物に付き合ってーとか、メロンパン買ってこーいとか。……あ、なんなら肩たたきでもオッケーだよ」
「やっぱ肩たたき券じゃん」
  どこかおかしそうに声を洩らす蒼司につられて、「そうかも」と拓斗は答える。
「有効期限は……そうだなあ。俺が蒼司を好きでいる限り有効、とかどう?」
「どう?  って……。俺に訊くなよ」
「はは、それもそっか。実質、期限はなしってことで!  どこにいたって、俺は蒼司の願いを叶えにくるよ」
「なにそれ……、随分と大袈裟な券だな。ほぼ肩たたき券なのに」
「そう?  大袈裟かな」
  拓斗は首を傾げながら、そっと頬を緩める。だって未来に続く道がどうであれ、拓斗が蒼司を好きでなくなるビジョンなんてものは微塵も見えやしないのだから。万が一ふたりの間にいつか距離ができたとしても、――今の関係のかたちが変わったとしても。
  すると蒼司は口を噤み、なにやら静かに逡巡する。それから「拓斗」と名を呼んで、そのままの調子で言葉を続けた。
「……じゃあこれ、使わないでおく」
「えー、せっかくだから使ってよ。もちろん、すぐにとは言わないけどさ」
「うん、だからいざというときのために取っとく。ていうか、先に有効期限なしって言ったのは拓斗だからな」
「まあ、それはそうだけど」
  確かにいつでも使っていいと言ったのは自分だが、拓斗はなんとなく釈然としないような気がした。別段早く使ってほしいというわけでもないものの、蒼司がなんのためにこの券を使ってくれるのかとわくわくしていた面が多少なりともあったのは事実だ。ううん、と首を捻る拓斗をよそに、蒼司は目をすっと細めて笑む。
「お前が忘れた頃にでも使うことにするよ。……そうだな、十年後とか」
「ってそれ、俺ほんとに忘れちゃうかもしれないじゃん!」
「俺が覚えとくから問題ないだろ。……それに今でも充分……いや、やっぱりなんでもない」
「……言いかけてやめるの、なんかずるくない?」
「ずるくない」
  ずるい、と再び反論しかけた刹那、ふと唇に柔らかなものが触れる。かすかに濡れた感触と熱のこもる吐息が口許を掠めて、拓斗の胸をたまらなく焦がした。ほんの少し見開いた翠の瞳に映るのは、どこかしてやったりと言わんばかりの表情を浮かべた幼馴染の姿だけ。胸の奥から込み上げてくる昂りに突き動かされるまま、拓斗は細い腰に添えた腕を力強く抱き寄せた。
「ん、っ……ぅ、……」
  一度、二度、三度。角度を変えながら何度も繰り返し唇を重ね、舌を絡ませて深いところまで繋がっていく。互いの唾液の混ざる水音が甘やかに響いて、触れ合った場所から愛おしい熱が広がるように感じた。縋るように衣服を握りしめてくる手は、無意識なのだろうか。いずれにせよ、そんな仕草ごと蒼司を可愛いと思ってしまうのはやめられないのだけれども。
「は……、……。っ拓斗、がっつきすぎ」
「だって蒼司からキスしてくれたの、嬉しかったんだもん」
「だからってそんな、……まあいいか」
  蒼司が小さく息をつき、そっと目を伏せる。それからいま一度視線が交わって、ふたりはどちらともなく頬を緩ませた。
「拓斗、プレゼントとか……その、いろいろありがとう。大事にする」
「うん。……改めて蒼司、誕生日おめでとう。これからもずっとよろしくな!」
  十年後も、二十年後も、その先も。願わくは、こうして大切なひとの誕生日を祝福できたらいいな、と。そんな願いを込めながら、拓斗は抱きしめる腕にそっと力を込める。「今日」という一日は、まだまだ始まったばかりだ。朝になれば、きっとたくさんの仲間たちが蒼司を祝ってくれることだろう。けれども今だけはまだもう少しだけ、ふたりきりの時間だ。
  大好きだよと呟けば、すぐさま同じ言葉が返ってきて。ああ、蒼司と出会えて本当によかったなんてありふれた文言が自然と口を突いて出る。「産まれてきてくれてありがとう」まで続けてしまえばさすがに蒼司も押し黙ったが、その代わりになにかを呻きながら、ぐ、と顔を埋めてきた。そうやって顔は隠したつもりでも、色づいた耳の先までには気付いていないらしいところがまた可愛くて仕方ないのだと蒼司はわかっているのだろうか。
  きみにとっての今日が、いっとう素敵な一日となりますように。窓の外で淡くひかる月だけが、とおい空の果てからふたりを見つめていた。――おやすみなさい、また朝に。