「……拓斗、俺、」
空き教室の床にへたり込んだまま俯く蒼司が、か細い声を震わせる。違う班であるはずの彼が、なぜひとりでこんなところにいるのだろう。どこか冷静な頭の片隅で、拓斗はふと思案する。けれどもだからといって、苦しそうに蹲る蒼司を見過ごせるわけがなかった。
「蒼司……!」
握りしめた蒼司の手のひらは、普段よりもずっと冷たかった。そう、例えるならば氷のようだ。
とにかく温めなくては、と拓斗は躊躇いなく蒼司の身体を抱きしめる。大丈夫、大丈夫だからと声をかけながら、懸命に背中を擦った。
「大丈夫? ……ああ、うん。そうだな」
「……蒼司?」
くつくつと息を詰めるように笑う蒼司に違和感を覚え、咄嗟に身体を引き離す。拓斗、と再び名を呼んだ彼の声は、いつにも増して淡々と宵闇に響いた。
途端、艶やかな髪の狭間から蒼司の瞳が覗く。ひどく昏く虚ろなそれは、果たしてなにを映しているのだろう。気がつけば、拓斗の背は冷え切った床に触れていた。
視線の先にあるのは、勢いのまま覆いかぶさってきた蒼司の姿だけ。彼らしからぬ強引な行動も、常であれば歓迎していたかもしれない。だが異常すぎる今の状況では、とてもそのような気分にはなれなかった。
「蒼司、おい蒼司……! ちょっと落ち着けって!」
「落ち着いてるよ、俺は。……大丈夫だ、なにも怖いことはないから」
――ただ、気持ちいいだけだから。
窓辺から射し込んだ月光が、無防備に晒された蒼司の首元を淡く照らす。薄らと透けるような白い肌に浮かぶのは、ヴィーデのマーク。拓斗はひゅっと息を呑み、蔭を帯びた瞳を見つめた。
「……なあ。俺と一緒に飛んでくれないか、拓斗」
◇
「――わあああああ! 蒼司! ちょっとタンマ!」
れまで机に突っ伏していた拓斗は、勢いよくその上体を起こした。視界の中には怪訝そうにこちらを見つめる蒼司がいて、なぜだかひどく安堵する。
「なにがタンマだよ、勝手に寝こけておいて。……勉強見てほしいって部屋に押しかけてきたの、お前のほうだろ」
「……あれ、そうだっけ」
「そうだよ。まったく……」
はあ、とまるで隠す気のないため息を目の前で吐かれ、拓斗は思わず乾いた笑いを零す。そういえばそうだった。課題で分からないところがあった拓斗は、蒼司に教えてもらおうと彼の元にやってきたのだ。だが次第に襲い来る睡魔に勝てずに、いつしか寝落ちしてしまっていた。
本当に、蒼司には申し訳ないことをしてしまった。ごめん、と口を突いて出た拓斗の謝罪に、まあいいけど、と呆れ半分の言葉が返ってくる。
だが、なぜだろう。こんなにも夢見が悪いのは。蒼司が出てきたことだけは、目が覚めた今でもはっきりと覚えているというのに。色濃い靄がかかったように思い出せない夢の記憶に内心小首を傾げながらも、拓斗は残された課題の続きを取り組み始めた。