熱もたまにはよいものです

それは朝、月森が目を覚ましたときのことだった。寝不足というわけでもないのに、どういうわけか体が妙に重い。それに加え、酷い頭痛がする。軽いものならまだ良かったのだが、頭部を支配していたのは少し動く度に襲われる、刺すような痛みであった。
  普段から体調管理はしっかりするように心がけており、そのおかげであまり体調を崩すことはなかった。なのにどうして今日に限ってこうも具合が悪いのだろうか。
  いや、こんなことで休んでいられない。自らを叱咤し、月森は重たい身体を起こして出掛ける支度を始めた。

「月森!  悪い、待ったか?」
  腕時計の針が約束の時刻とほぼ同じ位置を指した頃、土浦はやってきた。ここまで走ってきたのだろう、ほんの少しだけ呼吸が乱れているようだった。急いで会いに来てくれた土浦を見て心臓が密かに跳ねるのを感じる。月森は心配をかけまいと、時が経つにつれ次第に悪化していく体調を隠すようにいつも通りの自分を装った。
「いや、さっき来たところだ」
「そうか。で、どっか行きたいとことかあるか?」
  体調の変化にまだ気がついていないのだろう、土浦は普段通りに話を進めていく。月森は上手く不調を隠せていることに安堵しつつも、体調が徐々に悪い方向へと向かっているのを感じていた。
  今朝からの頭痛はより一層酷いものになっており、それに加えて身体が怠く、そして熱く火照っている。朦朧としていく意識とぼやけ始めた視界に限界を感じながら、ふらり、と体は宙へ放り出された。
「…聞いてんのか?  って、ちょ、おい月森!?」
  地面に向かって倒れた月森を抱きとめた土浦は、月森の顔をまじまじと覗き込んだ。暫く見たあとに怪訝な顔をした土浦は、片方は自らの、もう一方は月森の額に手を当てた。
「なあ月森。お前、熱あるだろ?」
「……ある」
「やっぱりか。ていうかお前なんでそんな状態で……」
「それは」
「いいから喋るな。理由はあとでじっくり聞いてやるから。とりあえず俺の家の方が近いから…立てるか?」
  月森が頷いたことを確認した後、土浦は月森を腕で支えながらゆっくりと地に立たせた。熱に浮かされているせいか若干足がふらつくのが気がかりではあったが、それでもまだ幾分余裕があるように感じた。月森は、とりあえず土浦の家に辿り着くまではなんとか体がもちますように、と願わずにはいられなかった。


 
「――よし、着いたぞ」
  閑静な住宅街の一角に位置する土浦の家には、月森も何度か訪れたことがある。先程いた場所からは決して遠くなく、時間でいうならば10分圏内の距離である。
  しかし今の月森にとってはその道のりが数時間であるかのように感じられた。熱にやられた視界は、白と黒の世界に変わっていく。
「ほら、今鍵開けるから。ちょっとま……って、おい!」
  月森は、隣にいた土浦に寄りかかるようにして倒れた。漸く辿り着いたという安堵感からか、月森は意識を手放していた。ったく……、と呟きながら月森を抱きかかえた土浦は、施錠を解いて自宅へと入った。
「ただいま……、ってそうか。今誰もいなかったっけか」
  この日は偶々家族全員が外出すると言っていた。けれどこのことに関して土浦はある意味好都合であると考えていた。
  このような状態の月森を家に招き入れたとなると、あとで待っているのは質問攻めの嵐であるということは十二分に予想できる。そのような事態が起こらないであろうことに内心感謝しつつ、土浦は腕の中で眠る月森を見つめた。
  待ち合わせ場所にいたときやここに至るまでの道中よりもましにはなっていたが、それも「そのとき」と比較しての話である。微かに触れた肌は、熱く火照っていた。とりあえずどこかで寝かせよう。そう思い、土浦は自室のベッドまで月森を運んだ。
  そっと寝かせて薄手の掛布団を掛けた後、寝苦しくないように首元を少しだけ寛げる。そして月森の髪を梳くようにして数回撫で、部屋を後にした。

「――ん……、ここ………は……」
  意識が浮上し、視界が開ける。月森が体を少し起こして辺りを見回すと、そこは見覚えのある部屋であった。
  ふと手元を見ると、すっかり温くなったタオルが落ちている。恐らく額に乗せられたものが体を起こした際に落下したのであろう。体調は未だに良いとはいえないものの、少し休んだせいか随分回復しているようであった。しかし幾度か訪れたことのある部屋だとはいえ、このような状態でひとりきりであるこの状況は月森を些か心細くさせた。
「土浦……」
  すると、部屋の扉がゆっくりと開かれた。その先に立っていたのは、この部屋の主である土浦であった。
「起きてたのか」
「ああ……、今目が覚めた」
「どうだ、体調は」
「さっきよりは随分良くなったと思う」
「そっか、よかった。いきなりぶっ倒れるから心配しただろ」
「すまない……」
「いいって。それよりほら、薬。飲んどけよ」
  そう言いながら、土浦から水の入ったコップと風邪薬を差し出される。ありがとう、と言って月森がそれらを受け取ろうとしたときであった。
「なんなら俺が飲ませてやってもいいけどな」
「え、遠慮する……!」
  不敵な笑みを浮かべてそう言い放った土浦から水と薬を半ば奪うようにして受け取ると、月森は薬を水で一気に流し込んだ。冷たい水が通り抜けていく爽快さが、月森の渇いていた喉を潤す。注がれていた水を飲み干してコップを下ろすと、ベッドの横に座っていた土浦に横を向かせられ、そのまま口を塞がれた。
「んぅ……、っ……ふ……」
  舌で唇を押し広げられ、冷たい液体が月森の口内に流れ込んでくる。それを少しずつ嚥下していくと、渇いて潤いを欲する体に染み渡っていく。飲み込み切れなかった水と互いの唾液は口元を伝い、零れ落ちていく。暫くして唇を離すと銀糸が二人を繋ぎ、そしてゆっくりと途切れた。
「土浦……!  急になにしてっ………」
「あー、悪い。出来心だ」
  悪びれた様子もなく笑う土浦に、月森は押し黙る。黙った月森を見て、思い出したかのように土浦が口を開いた。
「そういやさ、お前、こんなに体調悪いのにどうして来たんだ?」
「それは……、その」
  気まずそうに俯いた月森の手をそっと握ると、土浦は再び口を開く。
「別に怒ったりしないから。さっきも言ったが、お前が心配なだけなんだ」
  だから、顔をあげてくれ。苦笑交じりのその言葉を聞き、月森はそっと顔をあげて小声で呟いた。
「ただ単に会いたかったからだと言ったら、君は怒るだろうか。あまり二人で出掛ける機会もなかったし、その……、誘われた時は嬉しかった……から」
「馬鹿、怒るわけねえだろ!  会いたかったから無理して来たとかそんな……、怒りたくても嬉しくて怒れねえだろ……」
  土浦が月森を強く抱き寄せると、月森もそっと背中へ手を回した。熱のせいで普段よりも高い体温が、触れたところから伝わってくる。
「お前が治ったら一緒に出掛けようぜ。だから今はゆっくり休め」
「ああ……。迷惑じゃなかったらでいいんだが、今は一緒にいてくれないか……?」
「言われなくてもそのつもりだ。ほら、寝ようぜ」
  狭いけど我慢な?  そう言われ、それまで月森一人が使っていたベッドへ土浦が入ってくる。180cm近くある高校生二人が寝るのには少々きつい気もしたが、それでも二人の心は暖かかった。

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