「……ねえ、学人。この間、女の子の格好したってほんと?」
休日、ふたりきりの研究所にて。
それまで作業台に向かって手を動かしていたはずの遊我が、不意にそんな質問を投げかけてきた。ただ他愛もない話を交わしていただけだったのに、一体なにがどうして思考がそこに行き着いたというのか。話の流れも脈略もなにもなく降りかかってきた唐突な問いに、学人の心臓は急速に音を立てて拍動する。背筋に流れる汗がいやに冷たくて、今すぐ目を逸らしたい気分になった。
「……い、一応お訊きしますが……その、誰から……」
「ロミンだけど」
「ですよねぇ……」
案の定というべきか否か、即座に返ってきた名前は学人の予想を寸分たりとも違えなかった。あの場に居合わせた中で最も遊我の日常に近いのは、学人を除けば間違いなくロミンだ。恐らくは日常会話の中でたまたま話題にのぼったのであろうが、しかし。自分の預かり知らぬ場所で痴態が暴露されたのだと聞き及んで、学人は思わず頭を抱えた。
思い当たる節しかない。なぜならつい先日、ユウオウのサプライズバースデーパーティーに際して女装を――ザ・美少女ロミンの格好をしたばかりなのだから。早々と忘却の彼方に追いやろうとしていた記憶が羞恥心とともに呼び起こされて、学人の顔には沸々と熱が溜まっていく。
「あの……、その。どうして今、そんな話を……?」
「昨日、ロミンが教えてくれたのを思い出してさ。なんとなく気になっただけだよ」
「……もしかして、遊我くんも見てみたいとか……そういう……?」
「うーん、それは別にいいかな。学人のことだから似合ってたんだろうなとは思うけど、すごく見たいってわけでもないし」
いつの間にか遊我は作業の手を完全に止め、椅子の傍に立っていた学人のほうに向き直っている。それにしても思いのほかあっさりとした回答に、学人は一周回って拍子抜けしてしまった。
いや、見たいと言われてしまえば困るに違いないのだけれども。それでも本当に遊我が望むのならば、もう一度くらいは検討してみようと話の合間に半ば腹を括っていたのだ。ほのかに困惑を滲ませたまま、学人は眉尻を下げて笑った。
「私はてっきり、見たいと言われるかと……」
「え? まあ学人が着てくれるっていうなら、見たい気持ちもちょっとはなくもないけど……。嫌なら別にっていうか、そこまでの熱量はないかな」
それに、と遊我が続ける。
「女の子の格好してたからって、学人は学人でしょ?」
「遊我くん……」
さも平然と言ってのける遊我に、学人の胸はきゅう、と甘やかな音を立てた。――そういうところが好きなのだ。いつだって自分をありのままの自分として見てくれる、どこまでもまっすぐな遊我が。早鐘を打つ鼓動を感じていると、ふと間近に迫る翠の瞳と視線がぶつかる。
いつの間に、と思う暇すらなかった。既に手は止めていたとはいえ、先ほどまでは作業台の前に座っていたはずなのに。身体の中心を思いきり射止められたように、学人はまるで身動きがとれなくなった。
瞬間、ぐ、と軽く手を引かれて口づけられる。下方から柔らかな感触が唇に当たって、学人のあおい瞳は大きく見開いた。口許にかかる吐息は、ほのかに温くてくすぐったい。ややあって再び相まみえた遊我は、ひどく朗らかな笑みを湛えていた。
「……うん、やっぱり学人は学人だよ。女の子の格好をしなくたって、すっごくかわいい」
「っ、遊我くん……!」
「ほんとのことでしょ? ボクは、いつもの学人が好きだな」
「ああもう……、ずるいです本当に……」
本当に敵わない、この少年には。まるで太刀打ちできないまま、学人は人知れず唇を噛む。そしていっそう赤みの増していく頬を隠すことをいよいよ諦めて、遊我を見つめた。――もう一度、いいですかと。そっと呟いた言葉は、遊我の手で確かに拾い上げられて。ふたりの距離は、いま一度限りなくゼロへと近づいていった。