カギのかかった部屋

夜の体育倉庫はといえば、辛うじて建物の中とはいえ、やはり寒く感じられた。底冷えのするこの場所は、埃と土の匂いがする。
  閉じこめられてしまったのは、果たしていつのことであったか。先生に呼ばれ、兄とふたりで用事を引き受けたのが夕方の話だ。だというのに、何故まだ自分たちはここにいるのだろう。
  ――閉じこめられたと気づいてから、一時間は経ったのではないだろうか。というのも、用事などすぐ済ませて帰ろうと思っていたものだから、自分も兄も携帯電話を鞄に入れたままにしていたのだ。その鞄はといえば、今もなお教室に置きっぱなしである。連絡手段も、時間を確認する手段さえもふたりは持ち得ていなかった。
  体育倉庫に窓はひとつ。無造作に積まれている器具を用いれば、あまり背の高いとは言えない自分たちでも届きそうではある。けれど、人が潜り抜けられそうな幅があるかと問われれば、答えは否であった。
  入口は閉ざされており、窓からの脱出も不可能。おまけに最終下校時刻を過ぎているとあれば、校舎からは少し外れた場所に位置するここに来る者など、そうそう現れるとは思えなかった。
  きっと教師が施錠したに違いないが、それにしても中くらいざっと確認してくれてもよいのではないだろうか。薄暗い倉庫で一晩を過ごさなければならない事態を、まさか自分たちが経験する羽目になるなんて。誰とも分からぬ施錠者に対して静かに憤っていると、この場に居合わせた兄に名を呼ばれ、享介は振り返った。
「享介、寒くない?  大丈夫?」
「んー、ちょっと寒いけどへーき。悠介こそ大丈夫?」
「オレは大丈夫。……けど享介、さっきちょっと震えてただろ」
  言いながら悠介に手を取られ、両手で固く握られる。自分よりも僅かに高い体温に包まれた手のひらからは、じんわりとした温かさを感じた。
「ほら、やっぱり享介の手つめたい。ぜんぜんヘーキじゃないじゃん!」
「……別にこれくらいなんてことないって」
  正直なところ、確かに寒くはある。けれど、寒いのは自分だけではないのだ。だから、自分ばかりが寒いと漏らすなど、享介はしたくはなかった。悠介に握られた手のひらを、享介はやんわりと離す。すると、不意に悠介の身体が享介を包み込んだ。
「ね、享介。ウソつかないでいいから、寒いなら寒いって言ってよ。……享介が寒いならオレ、幾らでもあっためてあげるから」
  瞬間、視線が悠介のそれとかち合う。真剣な眼差しに射抜かれるように、気が付くと享介は頷いていた。
「……ごめん悠介。俺、ほんとは凄く寒い……」
  本音を漏らせば、ホントのこと言ってくれてありがとうと悠介は笑む。その表情は先程とは打って変わって、穏やかなもので。もう一度ぎゅっと抱きしめてきた悠介の背中に、そっと腕を回した。
「悠介、凄く温かい……」
「オレも、享介ぎゅってしてたらすっごく温かい」
  芯から冷え切った身体が、悠介に触れた箇所からじわじわと温まっていく。熱は身体中を巡り、指先へと、足先へと伝わってゆくようであった。
  ――悠介、と。享介が片割れの名を呟けば、再び兄と目が合う。ありがとう、そう告げようと口を開いた、筈であった。けれど享介は、思わず薄く開いたままだった兄の唇に自らのそれを寄せた。
  瞠目する兄をよそに、享介は舌先を彼の口内へと滑り込ませる。温かな悠介の口腔がいやに気持ちよくて、夢中で熱を貪っていれば、我に返ったらしい兄も享介に応えるように舌を絡ませ始めた。
「ん、んん……っ、ふ」
  はしたない水音と乱れた二人分の呼吸音が、夜の体育倉庫に響く。誰もいない学校で、彼らはただふたりきり。長い夜の秘密の睦言を、闇を照らす月明かりだけが見つめていた。

2015/12/16
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