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しゃばしゃばと噴き上げる広場の噴水が、光を受けてきらきら瞬いている。音と映像に合わせながら飛沫を散らすそれは、見た目にも涼やかだ。昼食を終え、ほっとひと息ついた午後一時。このあとどうしよっか、と。そんな風に話しかけながら、享介はすぐ隣にいる悠介を見遣る。
ひょんな思い付きから開催される運びとなった四季や隼人とのダブルデートは、つい今しがた一時的な解散をした。というのも、折角だから少しくらいは各々のカップルで過ごす時間を設けようとなったのだ。
事の発端となった四季と隼人の「経緯」については先日、本人たちの口から聞かせてもらっている。そのため享介も、おおよその事情は把握していた。期間限定の恋人になろうと思い至るまでに、きっと彼らも様々な葛藤があったことだろう。本当の恋人がいるにも関わらずこうした関係になることに対し、享介個人としては思うところがないわけではない。けれども、仲間であり友人でもある彼らが悩んだ末に取り決めた関係であるのならば、この時間がふたりにとって有意義であればいいな、とも思っていた。
そしてそれとはまた別に、享介は今日のデートを純粋に楽しみにしていたのだ。享介の恋人は他でもない、兄の悠介だ。だからこそ四季や隼人も自分たちに相談を持ち掛けてきたのだろうということは、さほど想像に難くない。
悠介とはひとつ屋根の下で暮らしているのだから、いつだって互いに顔を合わせることができる。だがアイドルとしての活動が軌道に乗った今では、改まってデートをする機会が減りつつあるのだ。そんな事情かあるからこそ、彼らにとっても自分たちにとっても、今回のダブルデートを実りある時間にしたいと考えていた。
「んーと、そうだなあ……」
一方話しかけられた悠介は、うーんと僅かに唸りながら、その場で暫時考え込む。すぐに何かを閃いたのだろう、甘くまろやかなみかん色をした瞳を輝かせた。
「じゃあ……享介の行きたいところ!」
「……俺の?」
「そ! なにかない?」
「ううん……」
質問を質問で返されるようなかたちとなり、今度は享介が唸る番だった。午前中は全力で楽しく遊べたし、食事も先程済ませたばかりだ。ここは今までにも何度か訪れたことのある商業施設だが、果たしてあとは何があっただろうか。考えを巡らせていると、享介ははたと思い付く。
「展望台、とか……?」
頭に浮かんだままを、享介はぽつりと口にした。普段はあまり気に留めたことがなかったが、そういえばこの施設の上層階には展望台が併設されているのだ。実際享介はそこまで上ったことはなかったが、食事後の時間を落ち着いて過ごすにはもってこいかもしれない。どうかな、と続ければ、悠介はより一層笑みを深めた。
「いいな、それ! じゃあ早速行こうぜ、享介!」
「わ、っと……。って、待って悠介、ここ外……!」
「ダイジョーブ! 誰も気にしないって!」
提案がふたつ返事で承諾されるや否や、享介の手のひらはさらりと悠介に攫われていく。あっという間に絡めとられた指はそのままに、悠介はぐい、と享介の先を歩き始めた。
それにしても、相変わらず人目を憚ることなく手を繋いでくる悠介には驚かされるばかりだ。悠介とこうして手を繋げることに対しては、確かに嬉しさがある。指先から伝わる体温によって心の奥までじわりと温かくなって、今ここにある幸せを実感できる。
けれどもそれ以上に、もしも誰かにこの状態を見られて、あまつさえ兄弟以上の関係にあることを知られてしまったら、と。悠介は気にしないでいいよといつも言ってくれるけれど、享介はついそんな想像をしてしまい、不安に駆られてしまうのだ。
(俺たちは、いつだって仲のいい「兄弟」だ。きっとだいじょうぶ、きっと……)
――どうか今日も、仲のいいただの「兄弟」として見られていますように。享介の心を読み取ったかのようにぎゅっと強く繋がれた手のひらを、享介は秘めやかに握り返した。
◇
わあ、と思わず声を上げたのは正しくふたり同時だった。綺麗にユニゾンした悠介と享介の感嘆は、そのまますぐに周囲の喧騒へと紛れていく。
夏休み期間中だからだろうか。恐らく平時よりも混雑しているのであろう展望台は、家族連れや友人同士、それから恋人同士など、大勢の客で賑わいを見せていた。悠介の手に引かれるがまま、今ふたりは窓辺に来ている。天井まで続くほどの大きな大きな窓の先には、普段見慣れているはずの建物たちが、まるでジオラマのようにちんまりと立ち並んでいる。――今日は快晴。絶好の展望台日和だ。
「思ったよりすごいな……」
「な! ここから監督の家、見えるかなー?」
「どうだろ、見えるかな? あ、スカイツリーだ」
「わ、ホントだ! 前に行ったけど、楽しかったなあ……」
享介とも一緒に行きたいなと、窓の外に視線を留めたままの悠介が朗らかな声で口にする。その言葉に頷きながら、享介は静かに窓から視線を外して、悠介の横顔をちらりと盗み見た。
心躍らせながら景観を眺める兄の表情は、まるで幼子のようだ。明らかにはしゃいでいるような悠介の顔が、うっすらと窓ガラスに映り込んでいる。どこまでも澄んだその瞳は、この一瞬一瞬に何を映しているのだろうか。一度気に留めてしまったが最後、享介の視線は悠介の横顔にばかり吸い寄せられていった。
展望台に行こうと最初に言い出したのは、享介のはずなのに。いつもより天に近い場所で煌めく悠介から意識を逸らせずに、享介はただただ目の前の光に見入られる。
「あ、見て見て享介! 監督の家あの辺じゃない?」
瞬間、それまで窓の外に目を遣っていた悠介の顔が、くるりと享介のほうへと向き直る。唐突にかち合った視線に、享介は思わず肩を小さく震わせた。
「……えっ、あ、うん。そう、かも……」
「だよな! ……って享介、ゼンゼン探してなかっただろ。オレのことばっかり見ててさ」
「っ……!」
「もしかして、気付いてないと思ってた? はは、さすがのオレでもあれだけ見られてたら気付くってば」
悠介がすっと目を細めると、享介の頬はぶわりと紅く染め上げられた。顔に貯まる熱を見られたくなくて、享介はそっと視線を外そうとする。けれども悠介はそれを阻むように、一瞬僅かに触れるだけのキスを享介に落とした。
「享介、かわいい」
「っ、うるさい。こんなところで……」
「いいじゃん、誰も見てないよ」
「そういう問題じゃ……」
「だって享介見てたらしたくなったんだもん。……ね、享介。家に帰ったら続き、しような?」
耳元で囁いてくる悠介の声は、普段の彼からは想像できないような甘さを孕んでいる。頭の中でがんがんと響く兄の熱に、享介は無意識に唾を飲み込んだ。うん、と微かに呟けば、悠介は満足そうな笑みを浮かべ、享介の頭を撫で始める。そこには既に先程までの熱は籠もっておらず、ただただ翻弄されるばかりの享介は人知れず息を吐いた。
◇
あれから一通り展望台を堪能したふたりは、待ち合わせ場所にと取り決めていたゲームセンターに来ていた。四季や隼人との待ち合わせまでにはまだ多少の時間があるが、折角なので久しぶりにゲームセンターで遊ぼうかということになったのだ。
商業施設内でも一際賑やかなこの場所には、様々な筐体が備え付けられている。クレーンゲームのゾーンをふらりと見て回る中、ふと悠介が声を発した。
「あ、くまっちのポーチだ」
「ほんとだ。あとでしきに教えてあげよっか」
「そうしようぜ。……なあなあ享介、これ見て!」
「ん、なに?」
今度は服の裾をくい、と軽く引っ張られて、享介は釣られるように悠介の指す筐体を見遣った。どうやらそれは、橙色をした犬のマスコットキーホルダーが景品らしい。くてんとしたその犬には愛嬌があり、どことなく悠介みたいだと享介は心の中でそっと思う。
「な、この犬ちょっと享介みたいじゃない? なんとなくだけど」
思いもよらぬ発言に、享介はつい笑い声を漏らした。双子故か悠介と思考が似通ることはままあるものの、また今回も似たようなことを考えていたとは。なにがそんなにおかしいんだよ、と少しだけむくれてみせた悠介にごめんごめんと謝りながら、享介は笑いすぎて目尻から溢れた涙をそっと指で拭った。
「や、俺もおんなじようなこと思ったからさ……。なんとなく悠介みたいだなって」
「なぁんだ、そうだったんだ!」
「そうそう。ならせっかくだし、チャレンジしてみようかな。悠介の分と、俺の分と」
「お! じゃあオレ、応援係な!」
がんばれと声を掛ける悠介に礼を言い、まずは狙いを定める。ガラス越しにしっかりと位置関係を確認して、享介はある一点に的を絞った。悠介が見守る中、享介は財布からちゃりん、とコインを投入する。軽快な音楽が流れ始めると共に、点滅し始める筐体の方向ボタン。すう、と息を吸って気持ちを落ち着かせると、享介は慎重に筐体のボタンへと手を掛けた。
ゆっくりと横方向にアームが動き、ここだという箇所で手を放す。我ながらなかなかいい位置につけたと安堵しつつ、今度は上方向のボタンを押した。タイミングを見計らってボタンを離すと、アームは静かに下へと動く。ぎゅむ、とマスコットたちがアームに押し付けられる中、そのうちのひとつのタグがアームの腕へと見事に引っかかった。
(よし、狙い通りだ。あとはこのまま――)
悠介と享介は固唾を呑み、アームの行く末を見守る。思惑通りに持ち上がるマスコットに、享介は心の中でガッツポーズをした。するとたまたまアームが閉じる際に引っかかったのか、マスコットの山にいたうちのもうひとつが、ころりと景品口に向かって転がり落ちる。定位置にまで戻ったアームは再びゆっくりと腕を開き、持ち上げられていたマスコットはそのまま重力に従って、ぽとりと景品口に落ちていった。
「やった……!」
「すげー! やっぱり上手いな、享介!」
結果として一度で取れてしまった、ふたつの犬のマスコット。景品口で仲良く待ち構えていた二匹を、享介はそっと取り出した。そして片方の犬をはい、と悠介に手渡す。ありがとう、と礼を述べてくる悠介の顔には、大輪の花が咲き誇っている。本当に嬉しそうに笑む兄に釣られるように、享介の頬もまた柔く緩んだ。
「どういたしまして。へへ、まさかふたつ一緒に取れるとは思わなかったけど……よかったよ」
「なあ。もしかして、この犬たちもずっと一緒にいたかったのかな。やっぱりなんだかオレたちみたいだ」
「うん、そうかも」
揃って転がり落ちてきた仲良しの犬たちを片手に、悠介と享介は笑い合う。やはり今日を悠介と共に過ごせてよかったと、享介は自身の心の奥に温かな灯が燈るのを感じた。これからも大切にしよう、この手の中のぬくもりを。そして勿論、唯一無二の存在である悠介のことを。
享介はふと目に入った壁時計を見遣り、その秒針を読む。時刻はそろそろ、四季や隼人と約束をしていた待ち合わせの時間に近付こうとしていた。ふたりだけの時間は、そろそろおしまい。享介が悠介のほうを向くと、悠介もまたこちらを見ていた。
「オレたちもそろそろ行こっか」
「うん、そうだな」
また、ふたりだけでデートをしようか。近いうちに、今度はもっとゆっくりと時間を取って。悠介と享介は未来のデートの約束を交わし、どちらともなく手を繋いだ。今日の大切な思い出を、手のひらにそっと握りしめたまま。