お料理の話

太陽が傾き始め、空が赤に染まり出した帰り道。予定よりも仕事が早くに終わり、悠介と享介は共に帰路へついていた。
  今日はふたりで料理しよう。そんな話になったのは、一時間程前の話。献立について思案しながら、悠介と享介は自宅に程近いスーパーマーケットへと立ち寄った。
 
  入ってすぐに位置している、生鮮コーナーをぐるりと見渡す。綺麗に陳列されているのは、色とりどりの野菜や果物。少し先へと進めば、鮮魚や精肉のコーナーにも続いている。どうやらこの日はセールを開催していたようで、普段に比べて値下げがされている商品が幾つもあるようだった。
「で、悠介は何か食べたいものとかある?」
「んー、今日は肉の気分かなー」
  享介が悠介に声を掛けると、悠介は既に商品を物色しているようだった。言いながら悠介が手に取っていたのは、合挽肉だ。そういえば、と享介は今日の出来事を想起する。
  確かあれは、仕事へ向かう途中の道でのことだ。ふたりで話しながら歩いていたとき、ハンバーグを売りにしている店の前を通ったことがあった。そのとき、悠介は店先の看板をじいっと見つめていたような。
「じゃあ、ハンバーグなんかいいんじゃない?」
「!」
  享介の提案に、悠介の瞳がぱあっときらめく。それだ!  とでも言い出しそうな表情に、享介は思わず笑いそうになった。その手の中にある合挽肉は、無意識の内に取っていたのだろうか。
「じゃあ、ハンバーグってことで。悠介、ほら」
「ん、了解」
  言いながら、享介は悠介に手を差し出す。明確に言葉にせずとも、こういった類のことであればすぐに言いたいことが伝わるのだ。悠介もすぐに意図を組んだようで、手にしていた合挽肉を享介へと手渡した。そしてそれを買い物かごへと入れると、享介は悠介と共に残りの食材を買いに再度店内を歩き出した。



  買い物を終え、帰宅したふたりは、まっすぐキッチンへと向かった。今日のメニューはハンバーグと簡単なサラダ。食材の準備を悠介に任せている間に、享介は調理器具の準備をする。
「享介ー」
「んー?」
「タマネギって買ったっけ?」
  買い物袋をごそごそと漁りながら、悠介が尋ねる。タマネギならば、確か一昨日買ったものがまだ残っていたはずだ。享介がそう伝えると、悠介は視線を買い物袋からキッチンの片隅にある野菜ストッカーへと向け、その中を探り始めた。
「……あっ、あったあった!」
「数も少ないし、全部使い切っちゃおうぜ」
「おう!」
  悠介が取り出したタマネギを調理台へと並べ、調理開始。野菜を丁寧に水洗いして、目の前に置いたまな板の上にそれを乗せる。悠介はタマネギを、享介はニンジンを。
  最初こそ慣れなくて危なっかしい手付きだったものの、幾度か料理をしていく内に、多少は上手くなったのではないだろうかと、享介は内心思う。こうしてふたりで暮らすようになるまでは、包丁など学校の調理実習くらいでしか持ったことはなかった。だから初めてふたりで料理をしたときは、それはそれは苦労したのだ。だが、悠介とふたりでする料理は嫌いではない。慣れないことに苦労はすれど、悠介と一緒なら、それさえ楽しく感じてしまう。
  とんとんとん、と野菜を切る音だけが聞こえる中、享介はそんなことを考えていた。すると隣からは、何故だか鼻をすするような音が聞こえてくる。手にしていた包丁を置いた享介は、思わず首を横へと向けた。
「悠介……?  って、おまえ」
「ううぅ~~~、享介ぇぇ……」
  目線の先にいたのは、涙をぽろぽろと零しながらもタマネギを刻んでいる片割れの姿だった。
「だ、大丈夫……じゃ、ないか……」
「っ、享介ぇ……涙止まんな……うぅ……」
  余程目に沁みるのだろう。やがて包丁を持つ悠介の手は止まり、ことりという音を立てて包丁はまな板の上へと置かれた。涙を拭おうとする手をやんわり制すと、享介は悠介の方へと身体を向ける。
「悠介」
  距離を詰め、濡れた頬に触れる。そして雫の零れる源に唇を寄せると、享介はそっと悠介の涙を吸い上げた。
「んっ……、なに、突然……」
「これで涙、止まっただろ?」
「……オレの涙なんて、舐めてもおいしくないってば」
  そう言った悠介の頬は、心なしか赤い。舌先に広がるのは、ほんの少しのしょっぱさを孕んだ悠介の涙の味だ。享介は目尻から頬へ、頬から首筋へと唇を滑らせていく。
「って享介、くすぐったいよ」
「んー、もう少しだけ……」
  恥ずかしそうにしながらも、悠介は大人しく口付けを受けてくれている。それをいいことに、敢えて口元を避けるようにして唇を落としていく。もう少し、もう少しだけ。自身にそう言い聞かせながら、享介は悠介に触れていった。
「っ、……享介」
  暫くそうしていると、それまでなすがままになっていた悠介が、静かに手を伸ばしてきた。名を呼ばれ、頬に触れられて、享介は我に返ったようにはっとする。何かを訴えるような、悠介の瞳。かち合った瞳に、目を逸らせなくなる。
「な……に」
「キス。……しないの?」
「したい、けど。……止められなくなる」
「いいよ、オレもしたい」
  しなやかな腕が享介の首筋に絡み、悪魔の囁きのような言葉が告げられる。まるで、逃れられる気がしない。言葉を紡ぐ度にかたちを変える唇に引き寄せられるように、享介は自身の唇を寄せた。
  安心する、心地良い温度。享介よりも僅かに高い体温。幼い頃から知っているそれと、幼い頃には知らなかった、片割れへの恋情。早鐘を打つ心音が、うるさいくらいに響いている。
「ん……、っんん……」
  角度を変え、やんわりと唇を食む。うっすら開く隙間から覗いた赤い舌が、いやに扇情的だ。誘われるようにしてそっと舌を絡ませると、悠介は甘い吐息を零した。悠介の吐息は重なった場所を伝って、享介の身体に、脳に直接反響するようで、どうしようもなく興奮を煽られる。
「っ、ん……ん、……ふ」
  口内の甘さに夢中になりながら、享介は何度も何度も舌を絡める。だがそのとき、甘い時間には到底似つかわしくない、なんとも間抜けな音が耳に入ってきた。思わず身体を離して、目の前の悠介を見遣る。目の前に立つ片割れは、恥ずかしそうに苦笑いをしていた。
「あはは……、ごめん。お腹鳴っちゃった……」
「ったく、悠介はもう……。まあ料理の途中だったし、仕方ないか」
  いつの間にか投げ出されていた調理に、そろそろ戻るべきか。そう考えた享介が、身体の向きを変えようとした、そのときだった。不意に唇を落とされ、享介は小さく目を見開く。僅かに触れるだけの口付けは、わざとらしいリップ音と共に、すぐに離れていった。
「……っ!」
「続きはご飯食べてから、な?」
  動揺する享介の心中などつゆ知らず、目の前の悠介は悪戯に成功したかのように笑ってみせたのだった。