ちゅーしよ。

信行が口付けをせがんでくることは度々あった。
  人恋しく寂しいのか、夜毎呼び出されては名を呼ばれ、抱きつかれ、接吻を求める。その度に百地は突き放すことなく、大人しく受け入れた。
  甘やかしすぎるのはよくないと分かってはいても、ついつい受け止めてしまうのは、単純に己の甘さが原因なのか。……それとも。

「百地」
  腕の中に納まっている信行が、不満そうに百地を見上げた。どうやらこの主は、百地が考えごとをしていることがお気に召さないらしい。
「どうされましたか、信行様」
「……別に。どうもこうもしないさ」
  そう呟くと、信行は自らの唇を百地のそれに寄せてくる。だが、寸でのところでぴたりと動きを止めた。そしてふいっと目を逸らし、俯く。
  いつもならばそのまま強引に口付けてくるのに、一体どうしたのだろうか。そう思いながら、百地は信行を見つめる。すると信行が顔を上げて、呟くように口を開いた。
「……ねえ、百地」
「はい」
「お前からも口付け、してよ」
  信行の声は少しばかり震えていた。羞恥や快楽、怒りの類ではなく、泣きそうな声。よく見ると、その瞳にもうっすらと涙が滲んでいた。
  指で信行の涙を拭う。そして百地は、涙に濡れそうな声を呑み込むように口付けた。自分から投げかけておいたくせに驚いたのか、信行は身体をびくりとさせた。
「んっ、……ふ、ぁ」
  くぐもった声が漏れ聞こえる。腕の中にいる信行は縋るように百地の装束を引き寄せ、接吻に応えていた。
  僅かな隙間を作り、百地は離れる。その瞬間、ほんの少しだけ信行の瞳が寂しげに揺れたのを感じた。
「百地……百地、」
  百地が作った隙間を埋めるよう、信行は更に距離を詰めた。その不安定に揺れる瞳は、ただ百地にだけ向けられていた。
「信行様」
「お前は僕を置いて行かないよな……?」
  百地のほうを見上げる信行は、小さく震えている。いつの間にか、その瞳には涙を湛えていた。先程の滲むようなうっすらとした涙とは異なり、はっきりと泣いているのだとわかる。
  そのとき、がたり、がたりと障子が揺れた。嵐が近づいているのだろうか、外ではいつにも増して強い風が吹き荒んでいるようだった。
「あ、っああ、風が……っ、百地……百地……」
  信行は百地の腕に抱かれたまま、己の耳を塞いで蹲った。苦しげな声を出しながら、涙を散らす。そのような信行の姿を見て、百地は抱き締める力を僅かに強めた。
「落ち着いてください、信行様。……ずっとここに、いますから。あなたはひとりじゃない」
  百地は、できるだけ優しげに諭す。だが、信行はただ譫言のように「嫌だ」「怖い」と繰り返すだけだった。
「嫌だ、百地、嫌、怖い、助けて、……っ」
  百地は、恐怖に打ち震える信行を抱きすくめ、再度口付けた。短めのものを何度か繰り返し、宥めるように行う。

  暫くの間そうしていると、次第に落ち着いてきたのか、信行からも口付けがなされた。いつしか震えの止まった身体を見て、百地は内心安堵する。
「信行様。……大丈夫でしょうか」
「ああ、ありがとう」
  信行は微笑を浮かべながら、百地の腕にそっと手を添える。そして軽く息を吐き、口を開いた。
「ありがとう、百地。百地が、ひとりじゃないと言ってくれて、本当に嬉しかったよ」
  一呼吸置き、信行は言葉を続ける。その様子を、百地はただじっと見つめていた。
「百地の接吻は落ち着くから好きだ。だからもう一度だけ……してくれないか」
「拒むことなど、許されないのでしょう?」
「当然。これは命令だよ、百地」
  だから、早く。
  そう呟く信行に、人差し指で唇を触れられる。百地はやんわりと、触れられた方の腕を掴んだ。
「――承知」
  信行の唇を、百地が塞ぐ。満足そうに笑む信行は、何度甘やかしても甘やかしきれないほど、百地の心を奪っていった。

2013年10月のラヴコレ秋で頒布した無配本の再録です
診断メーカー「ふたりへのお題ったー」より(http:// shindanmaker.com/122300