きらい、だった。

――第一印象は最悪だった。
  お互い会う度に喧嘩して、それこそ、目も合わせたくないくらいに。だが、今はどうだろう。考えるだけで会いたくなって、想いは膨らむ一方で。
  いつの間にか、必要な存在に変わっていた。

  正門前の妖精像。
  夕空の下、月森は空を見上げた。茜色に染まる空が、秋の香りを漂わせている。暑かった夏から寒い冬へと移り変わろうとするその間の季節。少しずつ冷たさを孕むようになった風が、ざわざわと木々を揺らしていた。
(あと、どれくらいの日々を君と過ごせるだろうか)
  留学を決意し、来年の春――学年が繰り上がる少し前には、欧州へと旅立つことになった。それは、自らが音楽を志すと決めた時点で既に覚悟していたことであるし、寧ろ遅いようにも感じる。けれど、その決意の中にほんの少しの迷いが生じるのもまた事実だった。
  ――考えるのは、彼のこと。
(早く、伝えなくては……)
  そうは思うものの、未だ伝えるには至っていない。彼ならきっと応援してくれるだろう。だが伝えようとする度に、離れたくないと思う気持ちが邪魔する。もしも別れようと言われてしまったら。そう考えただけで、月森は心が苦しくなった。
  以前はあれほど会いたくないと思っていたはずなのに、今では会いたくないどころか、離れたくないとさえ感じてしまう。演奏技術を高めるため、欧州留学は必要不可欠だ。けれど、「寂しい」と感じてしまうこの心の中で、矛盾が生じてしまうのだ。それは、音楽が全てだった頃の月森では、到底考えられないことだった。
  月森は、遙か上空に向けていた目線を元に戻す。下校時刻が近いせいか、いつもは人の多いこの正門前も、生徒は疎らだった。
(こうして君を待つ時間は悪くない。けれど、早く会いたい)
  今日は確か、部活動に顔を出すのだと言っていた。登校中、そう話してくれた土浦の表情を思い返す。
  一緒に登下校をするようになってから、苦手で仕方なかった朝の時間も苦痛でなくなったことに……楽しみに変わってしまったことに、土浦は気が付いているのだろうか。朝だけではなく、人と食事を共にすること、こうしてただ待つことも、楽しさを覚える。
(相手が全て、君だから)
  いずれ、言わなければならないことがある。そのことがこの関係にどういった答えを出すのか。それはまだ分からない。けれど、そのときまであともう少しだけ、こうして何も考えずにいたかった。

「――月森」
  駆け寄ってくる声に気が付いて、月森は振り向く。見ると、グラウンドの方面から土浦がこちらに向かってくるところだった。
「悪い、遅くなった」
「いや、構わない」
  月森がごく自然に表情を緩めると、安堵したように土浦も微笑した。
「……あっ」
「どうかしたか?」
  土浦の制服が僅かに乱れていることに、月森はふと気が付いた。ここに来るために、急いで着替えてきてくれたのだろうか。だとすれば、土浦も早く会いたいと思っていてくれたのだろうか。
  そう考えながら、月森は土浦の衿元に手を伸ばした。
「服が、」
  すっとネクタイを整え、襟を正す。その様子を、土浦は少しばかり驚いたように見つめていた。
「あー、悪い。直してくれて、サンキュ」
「どういたしまして」
  直し終えた月森が手を引くと、土浦が照れたように笑む。そして月森の頭を軽く撫でると、少しだけ目線を外して呟いた。
「どうしてもお前に早く会いたくて……な」
「土浦……。俺も、会いたかった」
  月森は、ふわりと微笑む。やはり土浦も同じ気持ちだったのだと、ただそれだけで嬉しさを感じた。
「そうか。なら、嬉しい」
  そろそろ帰るか。そう続けると、土浦は月森の手に自らの手を絡める。そしてそのまま正門へと向かった。
「っ、土浦……!?」
「何だ?」
「こんなところで手を繋ぐのは……。……その、もし誰かに見られたら」
  恥ずかしさと嬉しさから赤く染まる頬を隠しきれないまま、月森はそっと目を伏せる。しかし、そのような月森に構うことなく、土浦はふたりの自宅の方面へと足を進めた。
「いいだろ、別に。周りに殆ど人いないし」
「だが……」
  どうやら土浦は、引く気がないようだ。こうして手を繋ぐ行為自体には悪い気はしないのだが、やはり恥ずかしさが抜けない。月森は諦めたかのように、溜め息を吐いた。
  月森は、密やかに土浦との距離を縮める。心地良い秋風が、ふたりの間に吹き抜けた。
「もう秋だな」
「……そうだな」
  土浦の言葉に、ほんの少しの苦しさを覚える。
  来年の今頃は、こうしてふたりで並んでいることはできない。仕方がないことだと分かってはいても、別れの日を思い浮かべるだけで胸が痛んだ。
(……いっそ嫌いなままでいられたら、楽だったのだろうか)
  泣きたくなるような気持ちを押し留めて、月森は絡めた指先にそっと力を込めた

2013年10月のラヴコレ秋で頒布した無配本の再録です
診断メーカー「ふたりへのお題ったー」より(http:// shindanmaker.com/122300