撫でる手は私のよりも小さくて けれど落ち着くのはきみだから

下校時刻が迫る中、遊我はひとり廊下を歩いていた。まっすぐ向かうその先は、生徒会室。一緒に下校する約束をしていたひと学年上の恋人を、迎えに行くためだ。
  今日は生徒会の仕事を片付けたいと言っていたので、彼の居場所はきっとそこだろう。心なしか弾む足取りのまま、遊我は生徒会室の自動ドアをくぐった。
「学人、いるー?」
「……あ、遊我くん」
  彼――学人は書類を手に、いつもの席へと座っていた。遊我の姿を見とめるなり、学人はふっとその頬を緩める。
  今はどうやら、学校行事に関する書類に目を通していたらしい。相変わらず生徒会長の職務は多忙を極めているようだが、それでも彼が無理をしすぎない限りは見守る姿勢のままでいるつもりだった。
「すみません。もう少しで終わりますから、待っていてもらえますか?」
「うん、わかった」
  学人の言葉に二つ返事で頷いて、遊我は彼の傍にある椅子へと腰かけた。
  再び書類に向きあい始めた学人の横顔を、なんとはなしに見つめる。日頃ころころと変わる表情も、今はただ真剣さばかりが滲んでいた。そんな学人を至近距離でまじまじと眺めていられるのも、きっと恋人特権なのだろう。艷やかな杜若の髪も普段よりずっと近くて、思わず手を伸ばしそうになってしまう。
  ふたりきりの生徒会室に響くのは、互いの息遣いとペンを紙に走らせる音くらいだ。けれども遊我はひとつも飽きることなく、学人の整った横顔をしばし堪能していた。

  幾ばくかの時が経ち、ふう、と息を吐く音が遊我の耳に届く。とんとん、と書類の束を軽く整えたのち、学人はそれらを机の端に纏めて置いた。
「そろそろ帰りましょうか、遊我くん」
「……あ、終わったの?」
「はい、おかげさまで。長い間お待たせしてしまい、申し訳ありません」
  学人は筆記用具を片付けながら、帰り支度を始める。窓から射しこむ夕陽が、きらきらと彼の髪を透かしていた。
  学人に触れたいと、そんな思いが再び遊我の中で顔を出す。おもむろに手を伸ばし、遊我は学人の頭へそっと触れた。柔らかな髪の感触を確かめるように、そのまま優しく撫でていく。
「今日もお疲れさま、学人」
「えっ……、あ、ええと……」
  遊我の思いがけない行動故か、学人の頬は瞬く間に朱く染まっていく。背の高い人はあまり撫でられ慣れていない、なんて話をどこかで聞いたことがあるけれど、果たして学人はどうなのだろうか。加えて生徒会長として、そして蒼月の名を継ぐ者として、なにかと人の上に立つ場面の多い彼だ。同年代の人よりも撫でられることへの耐性がなくとも、殊更不思議ではない。
  なにはともあれ、面映ゆそうな視線を投げかけてくる学人の姿は酷く可愛らしい。遊我は頭を撫でる手を止めずに、笑みを深めた。
「ゆ、遊我くん……?」
「ん、なあに?」
「その……、いつまで続けるんですか、これ……」
「嫌だった?」
「嫌……ではないんですが、なんだか落ち着かなくて……」
  学人は深いあおの瞳を泳がせながら、自身の手を机上でそわそわと触れあわせている。そんな彼を見ていると余計にやめたくなくなるのだから、本当にどうしようもない。もう少しだけ眺めていたいのが本音だが、あまりしつこくして怒らせたくはなかった。仕方なしに、遊我は学人の頭から手を離す。
「ごめん。なんとなく学人を撫でてみたくなっちゃって、つい」
「……まったく、遊我くんの突拍子のなさは今に始まったことではないですけど」
「そうかな?」
「そうですよ。けれど、たまになら……」
  言いながら、学人の手が遊我の頭を何度か軽く撫でていく。心地よい彼の手つきに、遊我は思わず目を細めた。
「……いいの?」
「ええ。面映ゆさはありますが、やはり……嬉しかったので」
  ありがとうございます、と呟いた彼の声に続くように、最終下校時刻を知らせる鐘が鳴る。そういえばそうだったと半ば口惜しい気持ちになりながら、遊我は「帰ろっか」と返した。
  窓の外では、カラスの親子が仲睦まじく空を羽ばたいている。校舎内を見回るドローンたちに見送られながら、遊我と学人は今日もまた連れ立って家路へと就いた。