【Web再録】愛すくりいむ

2015年3月発行の光兄弟BLアンソロジー『Full Synchro!!』に掲載した作品のweb再録です。

あまい。おいしい。
  ボクには分からない感情。だけど、あの子が嬉しそうに笑うから、ボクも欲しいと思ってしまう。贅沢な願いだとは分かっている。そして、それが叶うはずがないということも。
  分かってはいるけれど、思わずにはいられない。
「もしも、キミと同じものを口にできたなら」
  言葉にならない思いが、胸の奥深くに鈍く掠めた。

  科学省から自宅までの帰り道、自動車の行き交う大通り沿い。人の波を華麗に避けながら、熱斗は自慢のローラーシューズを滑らせていた。
  その足取りは軽い。
  この日、熱斗は父・祐一朗に呼ばれていた。PETの調整をするから来なさい、と言われたのが昨日のこと。熱斗は学校の授業を終えるとすぐに、父の待つ科学省へと向かった。
  熱斗が到着した頃には、既に調整の手筈は整っていた。聞くところによると、準備はちょうど終わったばかりで、あとは熱斗が到着するのみ、というところだったらしい。
  こうした調整は定期的に行われており、またここ最近は取り立てて大きな事件という事件も起こってはいない。そう心配することもないだろうと、熱斗は父の施す作業を暫くの間見守っていた。
  案の定、特に何事も起こることなく調整を終えたのが、数十分前の話。もう帰っても大丈夫だ、という父の言葉に、熱斗は手を振ってその場をあとにした。



  日は傾き始めているが、夕食には幾分早い。そんな頃合いだ。そして食べ盛りの熱斗にとっては、そろそろ腹の虫が鳴り始めるような時間帯でもある。あっ、という短い声が聞こえたかと思うと、それまで風を切りながら進んでいた熱斗の足が、ぴたりと止まっていた。
  ――突然、どうしたのだろうか。訝しんだロックマンは、PETの中から頭上の少年へと声をかける。
「どうしたの、熱斗くん?」
  すぐに声に気がついたようで、熱斗は腰元に着けているホルダーへと手を掛ける。そして慣れた手つきでPETを取り出すと、大通りに向かう自身の身体を脇道の路地のほうへと向け、小さく指をさした。
「最近アイス屋ができたんだって、この間メイルと話したのを思い出してさ。確かその店、この先にあるんだって」
「アイス屋さん?」
「そ、アイス屋。とにかく美味いって評判らしくて、中でもソフトクリームが美味いらしいんだけど。それを思い出したら腹減ってきちゃってさー」
  ははは、と笑いながら、熱斗は頭に手を遣る。口に出したら余計腹減ってきた、などと呟く彼の頭の中は、もう既にソフトクリームのことでいっぱいらしい。
「熱斗くん、買い食い?  晩御飯が入らなくなって、ママに怒られても知らないよ?」
「へーき、へーき!」
  夕飯前だから、とロックマンは熱斗を軽く窘めた。だがそれはさらりと流されてしまい、ロックマンは小さくため息を吐く。
「たまにはいいだろ? な?」
  熱斗に懇願するような瞳で見つめられ、思わず言葉が詰まる。本当に大丈夫かなあ、と小首を傾げたロックマンをよそに、熱斗は既に脇道へと歩みを進めていた。

  件の店でお目当てのソフトクリームを無事に購入した熱斗は、その近辺にあった公園へと立ち寄った。
  春も近く、次第に暖かくなっていたとはいえ、肌を掠める風には未だ少しばかりの冷気も混じっている。外でソフトクリームを食べるとなると、まだ肌寒い季節だ。だがそんなことはお構いなしと言わんばかりの熱斗は、設置してあるベンチへと腰掛けた。
「いっただきまーす!」
  元気の良い声が、人気のない公園に響く。挨拶の勢いそのままに、熱斗は手に持った白いミルクソフトをぱくりと口に含んだ。
  途端、濃厚なミルクの甘みが口いっぱいに広がる。雪のように冷たいそれは、すぅ、とすぐに蕩けて消えてしまった。
「どう?  美味しい?」
「うん、美味い!」
  ごくりと口内のものを飲み込むさまを見るなり、ロックマンは熱斗の膝上に置かれているPETから声をかけた。その声に、熱斗は頷く。心底嬉しそうにしている熱斗の笑みにつられるようにして、ロックマンも思わず笑みを零した。
「よかったね、熱斗くん!」
「ああ!  今度メイルにもお礼言っとかないとな!」
  女子ってこういうの、結構詳しくてすごいよなあ。感心しているような熱斗の何気ないひと言に、ロックマンはちくりとした痛みが、自身の胸に走るのを感じていた。
  自分には理解できない感情を共有できる、熱斗に近しい女の子。こんなに近くにいるはずなのに、自分はなんて遠いところにいるのだろうか。
(……キミと同じものを、口にできたなら)
  考えてはいけないはずの想いが、一瞬ロックマンの脳裏に過る。
(熱斗くんはヒトで、ボクはネットナビだ)
  ふたりの間には、大きな、大きな壁があるのだ。どうしても超えることのできない、大きな壁が。だからそのような考えは、所詮ただの世迷言に過ぎない。
  ――けれど。
(少しくらいなら、……知ろうとするくらいなら、いいかな)
  もう一歩だけ、欲を出してみよう。ロックマンは意を決し、口を開いた。
「……ねえ、熱斗くん」
  見上げた先にいた熱斗は、ソフトクリームを夢中で頬張っていた。余程「美味しい」のだろう、ソフトクリームが口元に付着している。
「?  どうしたんだよ、ロックマン」
「その……、よかったらどんな味なのか、『美味しい』ってどんな感じなのか、ボクにも教えてほしいな」
  ちょっと難しいかもしれないけど、とロックマンは小さく付け加えた。
「そうだな。えーと、甘くて、濃くて、こう……口の中に広がってさ。ふわふわ、すぅーって感じかな」
  その抽象的な言葉で理解できるはずもなく、ロックマンは小首を傾げた。やっぱり無茶を言ってしまったなあ。少しばかりの後悔の念が、ロックマンの中で生まれる。
  そんなロックマンの表情を見て、明らかに伝わっていないことを感じたのだろう。熱斗はうーん、と唸る。自分のためにここまで真剣に考えてくれて嬉しい気持ちと、少し申し訳ないような気持ちを抱きながらも、ロックマンはそうしている熱斗の姿を、暫くの間見つめていた。

  暫しの沈黙の後、ロックマンは突如、謎の浮遊感に襲われた。一体何事だろうか。そう思いながら、気がついたときにはもう、液晶越しのすぐ傍に熱斗の顔があった。
「ね、熱斗くん……!?」
  どうやら熱斗は左手でPETを眼前まで持ち上げていたようで、先ほど覚えた浮遊感もそれによるものらしい。いつにも増して近いその距離。意識した途端、ロックマンの顔はじわじわと赤みを帯びていった。
「どう表現したらいいのか、よくわかんないんだけどさ。なんていうか、美味しいものを食べたら幸せな気分になれるんだ」
「幸せ……」
「そう。美味しいものを食べたら、幸せがこう、口の中でふわっと溶けていく感じがしてさ」
「それは……それは、素敵だね」
  熱斗の言葉をひとつひとつ噛みしめるようにして、ロックマンは頷く。幸せが心の中で溶けていくような感覚は、十二分に知っている。
「だろ?  でも、オレがホントに一番幸せだなーって思うのは、美味しいものを食べたときじゃなくってさ」
「違うの?」
「そりゃ、食べるのって好きだし、美味しいものを食べる時間は幸せなんだけど。でも、オレにとって一番幸せなのって、やっぱりロックマンと一緒にいる時間なんだよな」
「熱斗くん……」
  うんうん、と首を縦に振りながら、熱斗は言い切ったぞといわんばかりの面持ちをしていた。満足げな熱斗を見ているだけで、胸が温かくなって仕方がない。ありがとう、とロックマンが微笑むと、液晶を越えて伝わってくる温かな笑顔が返ってきた。
「うん。……だからさ、こうしてロックマンと話しながら美味しいアイスを食べるのって、ホント幸せだなって思うんだ。強いていうなら、そうだなー……」
  すぅ、と小さく息を吸う音が聞こえる。どうしてだろうか。熱斗の言わんとする言葉が、なんとなくロックマンにもわかってしまった。
「「……しあわせのあじ、かな」」
  熱斗の言葉に重ねるようにして、ロックマンも言葉を紡ぐ。熱斗は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、互いに顔を見つめ合っているうちに、なんだかおかしくなってきた。心なしか顔も熱い。
  だが、そうしてふたりで笑い合っていたのも束の間、思い出したようにロックマンは声を発する。
「……って、熱斗くん!  アイス、溶けてる!  早く食べちゃわないと!」
「あっ!  いっけね!」
  話し込むうちにすっかり溶けだしてしまっていたソフトクリームは、熱斗の右手を見事に汚していた。ロックマンの指摘に、熱斗はあわあわと自らの右手に付着したソフトクリームの液を舐め取る。
「あっ、熱斗くん!  ほっぺたにもソフトクリーム、ついてるよ!」
「ええっ!  どこ!」
  右手についた液を舐め取り終えた熱斗に、ロックマンは再度指摘する。先ほど言おうと思っていたのに、すっかり忘れてしまっていたなと思いながら、ロックマンは自身の指を使い、付着した箇所を指し示した。

  すっかり陽は沈みかけ、そろそろ家路に就かなくてはいけない時刻が、刻一刻と近づいている。だがそんなことなどつゆ知らず、きゃあきゃあと声を上げながら、ふたりは仲良く慌てふためいていた。
  その声すら楽しげで、それもまたきっと、ふたりにとってのしあわせのあじ。