――声が聞こえた。
聞き覚えのある、どこか懐かしいような声。
頭の奥に響くそれは温かくて優しくて、思わず涙が零れそうになった。
熱斗が目を開けると、そこは真っ暗な世界だった。
ここはどこだろう、と熱斗は思う。
見たこともない場所だったが、兎に角視界が悪かった。
熱斗はなんとか目を凝らして辺りを見回すも、そこには人っ子一人いない。
人影どころか、気配すら感じることはできなかった。
だというのに、どこからだろうか、確かに声は――熱斗のことを呼ぶ声は、はっきりと聞こえてくるのだ。
誰が自分のことを呼んでいるのか知りたい。
熱斗はそう思い、静かに口を開いた。
「誰かいるのか?」
しかし、その声に答えはなく、ただただ静かな空間に熱斗の声が溶けていくばかりであった。
空気中に消えていく自らの声を聞く内に、熱斗は段々と心細くなっていった。
本当は聞こえていた声なんてただの幻聴で、最初からここにたったひとりで佇んでいたのではないのか。
自分はずっとひとりなのではないだろうか。
そう考えただけで、途端に胸が苦しくなった。
ひんやりとした空気が肌を掠め、自然と身体は震えている。
「……ねえ、誰かいないの?」
熱斗はもう一度、言葉を発した。
渇いた空気が喉に張り付いたせいか、気が付くと掠れたような声になっていた。
そうして懸命に問い掛けたというのに、結果は先程と何も変わらなかった。
辺りを見回せど、そこには誰もいない。
おずおずと手を伸ばせば、なにやら壁のようなものに突き当たった。
それはコンクリートのように冷たくて、熱斗はなんだか泣きたい気持ちになった。
「――……さん」
にいさん。
彩斗兄さん。
涙に濡れる声でふと口にしたのは、今は亡き兄の名前だった。
咄嗟に漏れたその名を、熱斗はもう一度口にしてみる。
そうして静かに目を瞑り、大きく深呼吸をした。
すると、心の中に再び声が聞こえた。
それは少し前に熱斗が聞いたものと同じ、熱斗のことを呼ぶ声だった。
温かくて優しくて懐かしくて、熱斗の大好きな声。
唯一無二の存在で、いつも見守っていてくれて、それでいて傍にいてくれている大切なひと。
「――彩斗兄さん」
呼びかけるように三度(みたび)口にすると、熱斗はふわりと浮きあがるような感覚に襲われた。
「……っとくん、熱斗くん!」
遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。
もやがかかったような視界が開け、鮮やかに色付いた世界が見える。
そこはもう、先程までの冷たい空間ではなかった。
「熱斗くん! 朝だよ!」
「彩斗……兄さん……」
ぼんやりとしたまま熱斗は口を開いた。
すると傍らに置いてあったPETからは、呆れるような溜め息が漏れ聞こえた。
「もう、熱斗くんったら……。まだ寝ぼけてるの? もう朝だよ」
「……ロックマン」
聞き慣れたその声に、熱斗の意識は完全に浮上した。
声の聞こえるほうを見遣ると、そこにはいつものように自分を起こすロックマンがいる。
ああ、よかった。
自分はひとりじゃない。
傍にはこんなにも大切な存在がいるのだと。
「ロックマン」
「なあに?」
「えーと……、なんでもない!」
言いかけた言葉を胸にしまい、熱斗はにこりと笑う。
言いかけてやめないでよ、というロックマンに笑いかけながら、熱斗はPETと共にリビングへと向かった。