年齢操作有(18歳×20歳)
街路樹の桜が咲き誇り、はらはらと揺られて舞い降りる。春の風が柔らかな髪を煽り、そっと頬を撫でて過ぎ去っていった。
今はまだ通い慣れないこの道も、いずれ懐かしむときがくるのだろうか。地図は頭の中に叩き込んではいるから、迷わずに着くことを願いたいばかりだ。遊作は記憶を頼りに歩みを進め、一軒の家へと辿り着く。真正面から堂々とロックを解除すると、がちゃりと躊躇うことなく玄関の扉を開けた。
「ただいま、了見」
「ああ。……おかえり、遊作」
帰り着いた家にいる、愛おしいひと。――ああ、なんと幸せなのだろうか。遊作は自身の頬が緩むのを、抑えることなどできやしなかった。何を隠そう、この日を境に遊作と了見は本格的な同棲生活を始めるのだ。
すべてのきっかけは、遊作が高校生の頃にベッドで交わした会話だった。――了見と一緒に暮らしたい、と。遊作はふと、独り言にも似たそんな言葉を零したことがあったのだ。そんな遊作の願いを了見は受け入れたものの、あくまでも遊作の高校卒業が条件だと提示されたのだった。
あれから幾つかの季節が過ぎ、遊作はこの春漸く大学生になる。待ちに待った季節の訪れに、遊作は酷く浮足立ったものだ。高校卒業に対して少しばかりの寂しさを覚えることもあったが、遊作にとってはそれ以上に了見との新たな生活が待ち遠しくて仕方なかった。
そして卒業式の日の夜、遊作は喜び勇んで了見の家に向かった。家に行くことを事前には伝えていなかったが、わざわざ言わずとも彼女にはわかっていたらしい。待っていた、とだけ口にして遊作を自宅に迎え入れた了見は、穏やかな表情をしていた。
正式に同棲することが決まってからは、驚くほど着々と事が進んだ。新居は了見の希望で海の見える場所となり、引越しの日取りも早々と決定した。鴻上邸は引き払うことなく今もあの場所にあるものの、遊作のアパートはとうに引き払っている。
そうして今、ふたりは新居への荷物の運び込みを終えてひと段落ついたところだった。昼食の買い出しに行っていた遊作は、どさりとコンビニの袋を新品のテーブルに置く。がさごそと袋の中を漁っていると、不意に了見がひょこりと覗き込んできた。
「何を買ってきたんだ?」
「鮭、いくら、おかか、たらこ。あとツナと海老マヨだ」
「随分と買ってきたんだな、しかもおにぎりばかり。……任せると言ったのは私だから、別に構わないが」
「なんとなく食べたかったんだ。新発売のスイーツもあるから許してくれ」
遊作は説明をしながら、次々と袋から取り出しては机に並べていく。鮭に手を伸ばして椅子に腰掛けた了見を見て、遊作はツナを確保して向かいに座った。すらりとした美しい指先が、コンビニおにぎりの薄い包装を解いていく。そんな了見の前にスイーツを置くと、彼女の視線はそちらへと向いた。
「……桜といちごのパフェ」
「どうだ、美味しそうだろ?」
「ああ。……それに、可愛らしいな」
小さな容器の蓋に優しく触れる、了見の指先。すっと目を細めながらそれを見つめる彼女に、遊作は釘付けになった。穏やかな表情を浮かべる了見に魅入られるまま、遊作の口から言葉が零れ落ちる。
「……可愛い」
「やはりお前もそう思うか?」
「いや、パフェじゃなくて了見が」
「はあ……お前は本当に相変わらずだな……」
至って真面目に言い切った遊作であったが、了見には溜め息を吐かれた。呆れの混じるそれは、別段今に始まったことではない。ふたりの間では既に数え切れないほど交わしたやりとりだが、それでもやはり了見へ正直な想いを伝えることをやめる気はなかった。
すると了見はそっと遊作から視線を外し、目を伏せる。なにかあったのだろうか、遊作は若干の不安を抱えながら彼女を覗き込もうとした。だが了見はすぐにこちらを向き直ると、何やら口籠る。遊作が静かに言葉を待っていると、直に了見は口を開いた。
「……だがその、……お前に可愛いと言われるのは、悪い気はしない……」
「! 了見……!」
段々と小さくなっていく言葉尻に、耳まで紅潮する顔。これを可愛いと言わずして、なんと言えば良いのだろうか。遊作はがたりと椅子から立ち上がると、机越しであるにもかかわらず了見を抱きしめた。結い上げられた了見の長い銀糸の束がゆらりと揺らめく。やめろだの離せだのと無造作に投げつけられたとて、今の遊作には全てただの照れ隠しにしか聞こえなかった。
可愛い、かわいい、ああなんて了見は可愛いのだろう。遊作は了見を一層強く抱きしめながら、思いのままを口走る。だがあまりにも強く抱きしめすぎたせいか了見に「痛い」と訴えられて、遊作はしぶしぶ抱きしめる腕の力を緩めたのだった。
「……ばか、調子に乗りすぎだ。おとなしく座れ」
「……すまない、了見。だが、了見が可愛いのは事実だ……」
「う……、わかったから。まったく……、今日くらいは素直になってやろうと思ったらこれだ……」
遊作がおとなしく着席すると、了見は再び小さく溜め息を吐く。そしてそのまま口を開き、言葉を続けた。
「ほら、そんな悄気た顔をするな。別に怒ってはいない」
「了見……」
「それに、早く片付けてしまわないとゆっくりできないぞ? ……勿論今夜、私も寝ることもな」
了見はにこりと口角をつり上げると、ある部屋を一瞥する。名目上は了見の自室であるその部屋には、大人ふたりが裕に眠れるほどのベッドが設えられていた。彼女の仕事部屋はまた別にあるため、言うなれば事実上の寝室だ。誘いにも似た了見の口ぶりに、思わず遊作の胸が早鐘を打つ。
「だからほら、さっさと食べろ。折角の一日目を無駄にしたくなければな」
「……ああ、そうだな」
了見は完全に手が止まっている遊作を指摘しながらも、その実柔らかな声色をしていた。了見に促されるまま、遊作は漸くおにぎりに手をつける。そしてそれを口にする前に、もう一度言葉を紡いだ。
「……なあ、了見。ありがとう、俺と一緒に住んでくれて。俺の隣にいてくれて、本当にありがとう。これからもずっと、俺の傍にいてくれ」
「まるでプロポーズだな」
「そう受け取ってもらっても構わない」
「そうか……悪くないな。……君の方こそ、今更私の傍から離れてくれるなよ」
「ああ、勿論だ」
一度着席したのにもかかわらず、遊作は気がつけばまた席を立ち上がっていた。だが考えることは了見も同じのようで、視線の先の彼女と顔を見合わせてふっと笑みを浮かべた。そしてどちらともなく口づけを交わせば、胸の奥からは温かな感情ばかりが込み上げてくる。
もう二度と、決して離しはしない。ずっと彼女の傍にあることを改めて誓いながら、遊作は愛おしい運命に目一杯の想いを捧げた。
2019年9月発行『Sweet my sweet!』と繋がっているような、そうじゃないようなお話でした。