外部入学生の遊作と寮長の了見
その日の遊作は、なんとなく寝つけずにいた。だから夜風にでも当たれば少しは眠れるだろうかと、ただそんな軽い気持ちでいたのだ。既に夢の中にいるルームメイトを横目に、遊作はそろりと部屋を抜け出した。
とうに消灯時間の過ぎた寄宿舎は、しんと静まり返っている。湧き上がる背徳感を胸に抑えながら、遊作は長い長い廊下を進んだ。生徒数は然程多くないはずなのに、この学校の施設はどこも無駄に広大だ。入学してひと月ほど経ったものの、未だにその全てを把握しきれていない。さて、この先に進むと何があったのだったか。そんな風に考えごとをしながら暗がりを歩いていた、そのときだった。
廊下に洩れる、一条の光。その筋を辿るように目線を動かせば、他の部屋よりも重そうな扉が薄っすらと開いているようだった。遊作はもう少し視線を上にして、部屋のプレートを探す。――寮長室。はっきりと書かれた三文字に、遊作は自身の心臓が早鐘を打つのを感じた。
幼い頃、突如として姿を消したふたつ年上の幼馴染。ずっと会いたくて、探し求めていた彼。けれども漸く見つけ出したはずなのに、いつしか遠い存在になっていたひと。そう、きっとこの部屋の奥にいるのは寮長である彼――鴻上了見だ。遊作は物音を立てぬよう、そろりとドアに手を掛ける。そして室内が窺えるほどの隙間を確保して、ちらと中を覗いた。
視線の先にあったのは、机に向かう了見の姿だった。どうやら時折考え込みながら、何かを書き留めているらしい。その姿さえ様になっていて、遊作はもはや了見から目を離すことなどできそうになかった。扉を隔てたすぐ奥に、了見の存在を感じる。一秒でも長く瞳に焼き付けようと、瞬きさえ忘れて了見に見入っていた。
微かな物音と、自らの息遣いばかりがいやに大きく響く。だがそんな静寂が破かれる瞬間は、唐突に訪れるのであった。
「――いい加減、入ってきたらどうだ」
「……!」
耳触りのよい低音が、するりと流れ込んでくる感覚。扉の向こうで机に向かっていたはずの彼は、今はっきりと遊作のほうを見つめていた。背筋を伝う汗に見て見ぬ振りをして、遊作はドアに手を添える。そしてゆっくりと開けば、不審感を隠そうともしていない了見が立っていた。
「久しぶりだな、遊作」
「りょうけ、」
「消灯時間はとうに過ぎているはずだが?」
遊作の呼び掛けなど聞く耳も持たぬとでもいうように、了見が言葉を突き刺す。こんなにも近くにいるはずなのに、了見の心は酷く遠いように感じた。氷のように冷え切った瞳に射抜かれて、遊作は僅かに後退りする。だが怯んでいる場合ではないと、すぐに思い直した。
なんのために、わざわざ外部からこの学校へと入学してきたのか。今更了見を諦めることなど到底できやしないのに、折角の機会を無駄にするつもりなのか。遊作は心の内で頭を振ると、ぐっと手のひらをきつく握りしめる。そしてそっと彼の名を呼んで、手を伸ばした。
「了見、俺はお前に会いに来たんだ。ずっと……ずっと探していた。やっと見つけた。だからもう一度、俺の友になってくれないか」
「私の話を聞いていたのか? ……寮長命令だ。早く部屋に戻れ、藤木遊作」
「俺はもっとお前と話がしたい! 昔みたいに、お前の傍にいたいんだ!」
「これは規則だ。幾ら昔の馴染みだからといって、お前だけを優遇するわけにはいかない」
「……わかった、今日はおとなしく帰る。明日また来る」
「は……おい遊作、本当に私の話を聞いていたのか!?」
一方的な約束を取り付けて、遊作は寮長室を後にする。背後からはどこか慌てたような声が聞こえたが、小言は明日の夜にでも受け付けることにしよう。心なしか軽い足取りのまま、遊作は自室へと続く廊下を歩んだ。