夢で逢えたら

遊了ワンドロライ提出物【お題:逢瀬】

その日は、月が一等綺麗な夜だった。
  それまで閉ざしていた瞼を持ち上げて、遊作は自身の顔に軽く乗せていた腕をそっと退かす。とうの昔に照明の落とされた部屋には、ただ淡い一条の光だけが薄く差し込んでいた。
  遊作はベッドからそろりと抜け出すと、何の気なしにカーテンを開ける。今夜は快晴。自然と入り込んでくる月光が、室内を微かに照らす。クレセントを開く音がやけに大きく響いたものの、遊作は特に気にすることなくそのまま窓を開いた。
  静寂に包まれた街の風が、時折ふわりと柔く吹き込んでは髪を撫でる。そろそろ深夜帯とも言うべき時間に差し掛かってはいたものの、周囲の建物には未だにちらほらと灯りが点在していた。なんとなく宙に目を遣れば、ぽっかりと浮かぶまるい月。仄明るい光に包まれるそれを見つめながらも遊作の頭に浮かぶのは、どこまでもうつくしい彼のことばかりだ。
  十年前から続く彼との因縁は、幾度となく姿を変え、かたちを変えていった。ぶつかる度に追いかけて、手を伸ばして。そうした紆余曲折の果てに、今の関係がある。長らく恋い焦がれた彼――鴻上了見は現在、遊作の「恋人」という位置付けに収まっていた。
  友になりたい、と。ずっとそう願っていたはずの思いがまさか恋情にまで発展するとは、遊作とて想定外であった。疑惑が確信に変わるまでの間に、数え切れないほどの葛藤も重ねた。けれども了見の傍にいたいと願う気持ちだけは、ずっと変わることなく遊作の中にあったのだ。ひとたび恋心を自覚してしまえば、想いは際限なく溢れてくる。それはまるで了見を片時も忘れることのなかった十年間を、心が取り戻そうとしているかのように。
  だが最近、遊作は了見となかなか会えていないのだ。というのもイグニスを巡る事柄が解決し、平穏な日々が訪れてから幾ばくかの時が流れた今、遊作を苛むのは目下に迫る期末試験だった。Playmakerとして活動してきた遊作が勉学を些か疎かにしていたのは、了見も既知の事実である。そのような理由から今、遊作は了見から「試験期間が終わるまでは会わない」と言い渡されているのであった。
  直接彼に宣言された以上、簡単には会いに行けないだろう。会いに行ったところで、門前払いされるのが関の山だ。とはいえ会えない淋しさは日毎に増す一方で、遊作としては寧ろ逆効果なのではないかと思わざるを得なかった。
  ああそうだ、と遊作ははたと思う。直接会うのが駄目なら電話はどうだろう、と。遊作はおもむろにデスクの方へ向かうと、充電器を挿してあったPDAを手に取る。そしてそのまま窓辺に戻ると、連絡先の一覧から了見の番号を選択した。
  とはいえ既にこのような時間帯だ。流石の了見でも、もう床に就いているかもしれない。すぐに繋がらなければ素直に寝直そうと考えを改めながら、遊作は電話の応答を待つ。すると三コールもしないうちに、聞き慣れたバリトンが遊作の耳元を擽った。
「……遊作?」
  どうした、こんな時間に。そう続いた了見の声色は、少しだけ怪訝そうではあったものの穏やかだ。声が聞けただけでも心に暖かさが広がっていく自身の単純さに笑いたくなりながら、遊作はそっと言葉を返した。
「声が、聞きたくなったんだ」
「そうか。……私が寝ているとは思わなかったのか?」
「電話をかけてから気づいた」
「ふふ、君らしいな」
  電話越しの了見が、くすりと優しげに笑む。きっと了見は今、目をすっと細めながら柔らかな表情を浮かべていることだろう。鮮明に脳裏を過った了見の顔につられるように、遊作もまた頬を緩めた。
「了見は今、なにをしていたんだ?」
「私か?  ……どうにも寝付けなくて、少し考えごとをしていたよ。君は?」
「俺も……眠れなくて。なんとなく外を見ていたら、お前のことを思い出してな」
  了見が起きていてくれてよかった。遊作は思いつくまま、ぽつりと言葉を紡いだ。だがそんな言葉に対し、一向に了見の返答がない。なにかを考え込んでいるのだろうか。そうは思いつつも、遊作は彼の名を静かに呼びかけてみる。すると暫くぶりに返ってきた了見の言葉は、どうしたわけか若干歯切れが悪かった。
「いや、その……やはりなんでもない」
「了見?  どうした、なんでも言ってみてくれ」
「……。……ただ私も、窓の外を見ていたものだから。なんとなく、君から電話でも来るような気がして……」
  言いながらも段々と小さくなっていく、了見の言葉尻。それだけだ、と強めに言い切った了見にくすりと零せば、なにがおかしいとすぐに返ってきた。その声にはどこか不貞腐れたような、それでいて恥じらっているような色が混じりあっている。言葉を紡ぐ了見の表情がありありと思い浮かび、遊作は自身の頬が緩むのを抑えきれなかった。
「すまない、了見が可愛くてつい……」
「うるさいわ、まったく……」
  了見の深い溜め息が、遊作の耳にまで届く。きっと今頃、了見は頬だけでなく耳の先まで赤く染まっていることだろう。目の前に了見がいないことが、このときばかりは酷く悔やまれる。もしも了見を前にしていたならば、すぐにでもその体躯を抱きすくめていただろうに。
  無意識のうちに遊作が端末を握り締めると、ふと了見が口を開く。ところで、から始められた言葉を紡ぐ声色は、いつの間にか平時のものに戻っていた。
「……いい加減寝なくていいのか、遊作。お前は明日も学校だろう」
「……そうだな」
「なんだ、今の間は」
「了見ともう少し話していたくて。……まだ暫く、会えないんだから」
  了見に会えないことの淋しさを、遊作はぽつりと洩らした。それにしても口を突いて出た言葉は、どこか拗ねた口調になってしまったかもしれない。まるで自分が子供みたいだと言っているみたいで、遊作は僅かに口をつぐむ。こういうときに了見との年齢差を感じてしまうような気がして、なんだか歯痒かった。
  そうした気持ちを遊作が抱えていると、了見は思案するかのように少しばかりの間を開ける。それから再び口を開き、ゆっくりと話し始めた。
「……私とて、別に淋しくないわけではない。けれど君の、」
「わかってるさ。……なあ、了見。今から寝たら、夢でお前に会えるかな」
「……君にしては随分とロマンチックなことを言うな」
「なんとなくだ」
「ふふ、そうだな。……今日は、月が綺麗だから」
  ゆったりとした了見の言葉を耳にしながら、遊作は静かに月を見遣る。きっと了見も今頃、この月を見ていることだろう。離れたところにいても、確かに心は繋がっている。そう考えただけで、自然とあたたかな気持ちで満ちるようだった。
「試験が終わったら、すぐにでもお前のところに行くから。だからもう少しだけ、待っていてくれ」
「ああ、楽しみにしている。……それではまた夢で」
  おやすみ、と。そう挨拶を交わしたふたりは、どちらともなく通話を終了させた。窓の外では今もなお、月が闇夜を柔らかく照らしている。遊作は窓を閉めてカーテンも閉ざしてしまうと、そのままベッドへと潜り直した。
  夜風で少し冷えたのか、掛け布団の温度が身体を程よく温める。ひとたび温もりに包まれてしまえば、瞼は重さを増していく一方だった。
  夢で会おうだなんて、なんと稚拙な約束だろう。けれども夢物語にも似た約束が、今は無性に心地よかった。このまま眠りに就いて、夢の中でも君に出会えたならば、一体なにをしようか。約束を交わしたのだから、きっとすぐにでも出会えるはずだ。例えすぐに出会えなくとも、きっとどこでだって了見を見つけ出してみせる。そう、この世界で再び了見と出会えたときのように。
「……おやすみ、了見」
  静寂の戻った部屋で、遊作はそっとひとりごちる。眠気の波は、どうやらすぐ足元にまで押し寄せてきているらしい。遊作は静かに瞼を閉じ、愛しいひとへと会いに行った。