淋しがりやと恋の熱

カーテンの隙間から洩れる陽光を微かに感じ、内側に沈み込んでいた意識がゆっくりと浮上していく。その様は海の底から光の射し込む方へと手を伸ばす感覚に、何処か近しいのかもしれない。夢と現との間を彷徨いながら、享介は未だ覚醒しきっていない頭でそんなことを思った。実際に海へと深く潜ったことはないため、その真偽は定かではないが、海を愛す年上の後輩であればその感覚も知っているのだろうか。
  だがそうして、段々と意識がはっきりし始めた頃のこと。享介は自身の身体に違和感を覚えた。それはじっとりと何かが纏わりついてくるような不快感と、鉛の枷でも嵌められてしまったのではないだろうかという身体の重さだ。おまけに頭にも鈍痛が走り、正しく身体中が悲鳴を上げていた。
「っ、う……」
  刺すような頭痛に耐えかねた享介は、重く圧し掛かっていた瞼を持ち上げる。するとまず目の前に広がるのは、普段から見慣れた自室の天井だ。けれどもひとつ、いつもと大きく異なることがある。それはベッドに横たわっているはずの自身の身体だけが、激しく不調を訴えていたということだった。
  ――身体が熱い。それから身体の至るところが、代わる代わる痛みを叫んでいる。先程から感じている頭痛も相俟って、自身が体調を崩し、あまつさえ発熱しているということなど、わざわざ体温計を持ち出さずとも明白であった。
  しかし、とにかく起きなければ何も始まらない。頭ではそうは思うものの、どうにか身体を起こそうとしても満足に力が入らないのだ。少し身体を動かしただけでも鈍く軋んだ音がするブリキ人形にでもなったかのように、その動きはぎこちない。そして発熱による影響もあり、ただひたすら体が怠くて仕方がなかった。
(今日のスケジュール、どうなってたっけ……)
  熱に浮かされたまま、享介は頭の中でスケジュール帳を捲った。今日は確か悠介と揃って監督との打ち合わせが入っていたように記憶しているが、果たしてこの状態で打ち合わせに参加できるのか否か。そればかりが気掛かりでしょうがない。
  休む、ということも一瞬考えたのだが、それでは監督に迷惑を掛けたりしないだろうか。とはいえやはり不調を押し切ってまで無理に打ち合わせに臨んだとしても、それはそれでまた別の意味で迷惑をかけるような気がしてならない。纏まらない思考は熱のせいもあって、すぐに散り散りになってしまう。結局ひとりで結論が出せぬまま、享介は熱を帯びた吐息をふっと零した。
  享介がうまく働かない頭で思案していると、不意に廊下からぱたぱたという足音が耳に入ってきた。この家に住んでいるのは享介と兄のふたりだけだから、それが誰のものかは理解に易いが、それにしてもやけに慌ただしく感じる。一体どうしたのだろうか、と。そう思った矢先、足音は享介の部屋の前でぴたりと止んだ。
「享介ー」
  扉がノックされる音と共に、悠介が名前を呼ぶ声が聞こえる。けれどその呼び掛けに返事をすることすら億劫で、享介は緩慢な動きで身体の向きだけを扉の方へと変えた。暫くして室内からの返事がないことを不審に思ったのだろう。享介が身体を扉側へと向けたのと時をほぼ同じくして、かちゃり、と遠慮がちに部屋の扉が開かれた。
「……享介?  起きてる?」
  控えめなその声に、享介は布団に包まったままの状態でこくりと頷く。うん、と短く返事をすれば、享介の様子に気が付いたらしい悠介は、すぐに枕元へとやってきてその場にしゃがみ込んだ。
「享介、もしかして体調悪い?」
  悠介は至極心配そうに眉尻を下げる。悠介が伸ばした手は、享介の額へとそっと触れた。常日頃であれば享介よりも僅かに温かい、悠介の手のひら。しかしこの日に限っては、どこか冷たいようにも感じた。
  きっとそれは享介に熱があるせいなのだろうけれど、冷たい手に触れられて気持ちがいいのは確かだ。無意識のうちに享介が目を細めると、目の前の悠介の表情はそれまで以上に曇っていった。
「あっつ……。思いっきり熱あるじゃん、享介。大丈夫……じゃ、ないよな」
「ん……。けど、今日監督と……」
「そんな調子じゃ絶対ムリだってば。監督にはオレから言っとくから、享介はちゃんと寝てなきゃダメだからな!」
  念を押すように強く言われ、享介はぐっと押し黙る。元々動けるような体調ではないという自覚はあったのだから、と素直に頷けば、すぐに悠介はにこりとした。
  じゃあ、ちょっと待ってて。それだけ言い残すと、悠介は一度部屋を出ていく。ぱたりと扉が閉まった後、享介が耳をそばだてていると、案の定廊下からは兄の独り言が聞こえてきた。曰く、まだ薬があったかどうかだの、その前にごはんがどうとかだの。ひとつずつをわざわざ声に出してリストアップしていく悠介に、享介は思わずくすりと笑みを零した。



  ――リビングの方から時折物音がする。恐らく悠介が何かしてくれているのであろう。締め切られた窓の外からは、小学生の話し声も薄っすらと聞こえてくる。もうそんな時間帯か、などと思いながら、享介は何をするでもなく、ただぼんやりと天井を眺めていた。
  これはきっとただの風邪だ。或いは知らず知らずのうちに、疲労が享介の中に蓄積していたのかもしれない。だがどちらにせよ、今は身体が休息を求めているということなのだろう。思うように自分の身体を動かせないことはきついけれど、今はゆっくり身体を休める他ない。はあ、と享介が溜め息をひとつ吐くと、再びこんこん、と部屋の扉がノックされる音が耳に入ってきた。
「享介、濡れタオル持ってきたよ」
  部屋に入ってきた悠介は、まっすぐベッドサイドへとやってくる。そして彼は手を伸ばすと、汗で少しかたちの崩れていた享介の前髪を掻き分けて額を露出させた。
「ちょっと冷たいかもしれないけど、我慢してね」
  労わるような悠介の声が降ってきて、額には濡らしてきたばかりであろうタオルがそっと乗せられる。それはひんやりと程良く冷えていて、享介の火照った身体には酷く心地よく感じられた。
「冷たい?  大丈夫?」
「へーき。冷たくて気持ちいい……」
  享介が素直に心情を伝えれば、悠介はよかった、と胸をなでおろしたように呟く。そういえばいつの間にか掛布団も綺麗に整えられていて、そのことに気が付いた享介の胸に、ほわりと温かな火が灯った。
「そういえばさっきオレ、監督に電話したんだけどさ。そしたら今日はゆっくり休んで体調をきちんと体調を整えること、だって。監督も享介のこと、すげー心配してたんだぜ?」
「そっか……。今度監督に心配かけてごめんって謝らなきゃな」
「でさ、ついでにオレも休みにしてもらったんだ。だから今日はオレが享介のこと、看病するからな」
  監督にも享介を任せされたのだと、悠介が続ける。結局ふたりともに心配を掛けてしまったな、と内心密かに自嘲していると、悠介は明朗な声で更に言葉を紡いだ。
「だーいじょうぶだって。オレだって、早く享介に元気になってほしいからさ……。だからオレにできることなら、遠慮せずに言って!」
「うん……、ありがと。助かる」
  穏やかな、けれど何処か気遣わしげな瞳が享介を見つめる。悠介の声は享介を元気付けようと明るく努めているように聞こえるが、しかしその瞳は僅かに心配そうに揺らめいていた。享介が力なく笑みを浮かべてみせる。するとまるであやすような手付きで、悠介は享介の髪を撫でた。
「享介、何か食べられそうなものってある?」
「……あんまり食欲ない、かも」
「でも、ちょっとくらいお腹に入れとかなきゃ」
  悠介は困ったように零す。けれど享介とて、空腹時に薬を服用するべきでないことくらいは知っているのだ。それでもやはり食欲の有無について問われれば答えは否であり、とても食べ物が喉を通るようには思えない。首を横に振った享介に、悠介はうーん、と唸り声を上げる。享介の髪を触っていた悠介の手は、いつの間にか止まっていた。
「じゃあオレ、コンビニ行って適当に買ってくる。……ちょっと待ってて!」
  悠介はすくりとその場に立ち上がる。そして部屋を出る直前、ベッドの方へと振り返った悠介は、行ってきますとだけ享介に残し、扉の向こう側へと姿を消した。程無くして玄関ドアの開閉音も享介の耳に入ってくる。ばたり、と玄関が締まってからというものの、家の中は一気に静まり返った。
(……静かだな)
  先程まですぐ傍に感じられていたはずの悠介の気配が、全くというほど感じられない。というのも、外へ出掛けてしまったのだから至極当然のことである。しかしこんな些細なことで、今の弱った享介の心には一気に寂寥感が込み上げるのであった。
  ――分かっている。悠介が外出したのは他の誰のためでもない、享介のためであることくらい。だが頭では理解していたとしても、心には泉のように次々と不安な気持ちが湧き出てくる。享介は知らず知らずのうちに、掛布団を手のひらでぎゅっと握りしめていた。ひとりにしないでほしい。傍にいてほしい。ただ心細さが、享介を支配していく。
(熱で弱っている証拠、なのかな……)
  時が経つにつれて、どうしても不安や淋しさが募っていくばかりだ。こんなときはいっそ眠ってしまった方が楽になれるかもしれない。身体的にも、精神的にも。享介は頭まで布団を被ってしまうと、自分自身を抱き締めるように小さく丸くなる。ただ兄の帰りをひとりで待ちながら。

  それからどれくらい経ったのだろうか。享介が布団の中で縮こまったまま浅い眠りについていると、不意に小さな足音が耳に入ってきた。ああ、いつの間にか悠介も帰ってきていたのか。享介は静かに安堵する。布団の間からちらりと顔を覗かせれば、丁度悠介がこの部屋に入ってきたところであった。
「おかえり、悠介」
「ただいまー。色々買ってきたけど、この中で食べられそうなものってある?」
  がさがさと音を立てながら悠介がコンビニのビニール袋を探ると、中からは次々に食料が顔を出す。りんご、ゼリー、バナナなど、どうやら幾つかの種類を買ってきてくれたようだ。悠介はそれらをひとつひとつビニール袋から取り出しては、享介の横たわるベッドに並べていった。
「あとはたまご雑炊とか……。……あんまり作ったことないけど」
  言いながら、悠介は小口切りにカットされたネギをビニール袋から取り出す。どうやら彼が買ってきた品物は、これで終わりのようだ。さてどうするかと尋ねられ、享介は少し考えた後に口を開いた。
「……なら俺、悠介の作った雑炊が食べたい」
「ん、りょーかい!  じゃ、できたらここまで持ってくるから!」
  陳列した食材を無造作にビニール袋へと戻すと、悠介は勢いよくキッチンへと向かった。その背中を享介はベッドの縁から見送る。……悠介が戻ってくるまで、少し時間がかかるだろうか。ならばそれまでの間、もう少しだけ眠っていよう。享介はそっと瞼を閉じた。



  静かな物音が聞こえて、不意に目が覚めた。ちらりと横を見遣ると、こちらを見つめていた悠介と目が合う。どうやら暫くの間、享介の顔を覗き込んでいたらしい。
「おはよう、享介。……起こしちゃった?」
「おはよ……。そんなことないよ」
  ならよかった、と悠介の頬が緩む。額に乗せられていたタオルは、いつの間にかすっかり温くなっていた。
「少し起き上がれる?」
「うん。……、っ」
  悠介の言葉に、享介は頷く。そして身体を起こすため、身体に力を入れて自身の身体を持ち上げようとした。けれど弱った身体では腕に力が入らずに、今にも崩れ落ちてしまいそうになってしまう。
「だからもう、無理すんなって。……享介、熱出てるんだから」
  そうした享介を見かねたのか、悠介の腕が享介へと伸びた。ひとりで頑張ろうとしないで、必要なら頼ってくれていいのに、と悠介の口から本音が零れる。そして悠介の腕は享介の背中に回り、享介を優しく支えた。享介の身体に負担がかからないように、悠介はなるべくゆっくりと時間をかけて上体を起こす補助をしてくれる。そんな兄の姿に、享介は何故だか酷く泣きたい気持ちになった。
  そうやって漸く享介の上体が起き上がったことを確認すると、悠介の腕は静かに背中から離れていく。ベッドサイドには普段あまり使われることのない、折り畳みの小さな机が鎮座しており、その上には一人用の小鍋が置かれていた。どうやら悠介が押入れから引っ張りだしてきたらしい。
  悠介が鍋の蓋を開けると、すぐさま湯気と雑炊の香りが辺りにふわりと漂う。しかし、人間の身体とはどこまで現金なものなのだろう。あれほど食欲がなかったはずなのに、その鼻腔を擽る香りに思わずきゅう、と享介の腹の虫が小さく鳴った。
「あ、お腹空いてきた?」
「……みたい」
  よかった、と微笑みながら、悠介は小鍋から少し深めの器に雑炊を取り分けた。食べられるだけでいいからな、と無理をしないよう言ってくる彼の言葉に享介は頷く。頷いた享介を観るなり、悠介は小皿から一口分をれんげで掬い上げた。ふー、ふー、と軽く息を吹きかけて、享介が口内を火傷してしまわないようにと冷ましてくれる。そして悠介は雑炊の乗せられたれんげを享介の口許へと運んだ。
「はい、享介。あーん」
  口開けて、と悠介が促してくる。けれども享介は突然の兄の行動に、どうすることもできなかった。悠介が享介のためにとしてくれた行為ではあるが、どうにもこういったことは恥ずかしくて仕方がない。その証拠に、気がつけば享介の頬には薄っすらと朱が差していた。
「ま、待って悠介。俺、ひとりで食べられるからいいよ」
「こういうときくらいオレに甘やかさせてよ。オレだって享介のこと、いっぱい甘やかしたいんだ。だから、……な?」
  そう口にした悠介の声は、どこまでも享介のことを包み込んでくれそうなほどに柔らかい。あれほど恥ずかしいと感じていたはずなのに、それどころか胸の奥から込み上げてくる熱が、享介の体温をじわじわと上昇させていく。もう断ることなんてことはできなくて、享介は大人しく口を開いた。
「……どう?」
  瞬間、薄く開かれた唇の間から口内へとれんげが滑り込み、雑炊が舌に触れる。少し塩気の強い、けれども決してくどくない、優しい味だ。あまり料理をしない悠介ではあるが、こうして享介のことを思って懸命に作ってくれたのだということをひしひしと感じて、享介の胸はいっぱいになった。
「うん、美味しい。……すごく」
  享介は心からの感想を口にする。それだけで目の前の悠介は、心底嬉しそうな面持ちになった。そんな兄の表情につられるように、次々に温かな感情が溢れてくる。
  ――好きだと強く思った。これからもずっと傍にいてほしい、とも。自身の体調管理の甘さからこうして寝込んでしまったというのに、悠介は文句ひとつ言うことなく、甲斐甲斐しく享介の世話をしてくれる。今このときは自分だけが悠介を独り占めしているのだと、享介のことだけを見つめてくれているのだと。不謹慎だとは思うけれど、そう思わずにはいられない。
「……悠介」
「ん?」
「ありがとな」
「いいよ、そんな。オレはただ、早く享介に元気になってほしいだけだから。……ほら、二口目」
  悠介はれんげで雑炊を掬うと、今一度享介の口許にそれを寄せた。再び手ずから食べさせてくれる悠介に応えるように、享介も今度は素直に口を開き、唇に触れたれんげをぱくりとくわえる。そしてゆっくりと咀嚼し、飲み込んで。口を開けば雑炊が口に運ばれてきて、それをまた食す。二口、三口、四口。享介は時間をかけ、少しずつ雑炊を食べ進めていった。
「……ごちそうさま」
「食欲ないって言ってたからちょっと少なめに作ってみたけど、全部食べられたな」
  言いながら、悠介は自分のことのようににこりと笑みを浮かべる。よかった、とこぼす悠介は何処か安堵感に満ちた表情をしていた。
「悠介が作ってくれたからだよ。美味しかった。ありがとう」
「そっか……、うん。享介が喜んでくれてよかった」
  へへ、と面映ゆそうにする悠介に、享介もまた笑みを零す。すると思い出したように悠介がはっとして、そうだ、と口にした。
「……薬飲まなきゃダメだったな。すっかり忘れてたや」
  そう言いながら悠介に手渡されたのは、風邪薬と白湯だ。忘れていた、と言う割にはきちんと準備してくれていたんだな、と。享介はくすりと小さく笑いながら、それらを悠介から受け取った。そして白湯を少しばかり口に含み、錠剤を口内に放り込んでそのままごくりと飲み込む。残っていた白湯も飲み干して悠介に返せば、彼は食器類を纏めて抱え、その場に立ち上がった。
「じゃあオレ、これ片付けてくるから。……享介はちゃんと大人しく寝てろよ?」
「わかってるってば」
  享介の言葉に小さく口角を吊り上げると、悠介は部屋の扉の前に向かった。そして悠介はドアノブに手をかけて、そのまま部屋を後にしようとした。しかしその瞬間、不意に悠介を呼び止める言葉が、享介の喉からするりと突いて出る。
「……待って」
「ん?  どした?」
「あ……、えっと」
  こちらを振り向いた悠介が、どうしたのかと首を傾げている。だが一番困惑したのは享介自身だ。呼び止めるつもりはなかったのだ、本当に。それでも悠介が行ってしまうと思ってしまったが故に、思わず本心が言葉となって洩れ出してきたのだ。
  一方で呼び止められた悠介はといえば、いつの間にかベッドサイドの――享介の傍にまで戻ってきていた。そして静かに享介の言葉を待っている。けれどなかなか声を発することができずにいると、享介よりも先に悠介が口を開いた。
「ん?  ……なんでも言ってくれていいよ。オレにできそうなことなら、ちゃんと聞くから」
  悠介のその言葉で、享介は意を決する。少し前に感じたことを、素直に打ち明けてみようか。ひとりでいると、心細くて堪らないという本音を。すう、と息を吸うと、享介は遠慮がちに口を開いた。
「えっと……。……食器片付けてからでいいから、しばらく傍にいてほしいなって……思って。俺が寝るまでで構わないから」
  瞬間、悠介の目が小さく見開く。しかしすぐにふわりと柔らかく笑むと、その場に座り直した。
「なーんだ、そんなことか。それくらい、幾らでも一緒にいてあげるのに」
  悠介はベッドサイドの小机に纏めて食器を置く。そしてベッドの縁に投げ出されていた享介の手を取ると、両手で包み込むように握り締めた。そうして触れられるだけで、享介の心はすっと凪いだように落ち着いていく。
「大丈夫。オレがずっと手握っとくから、享介は安心して休んで。……オレも享介が体調悪いとなんだか落ち着かないし、調子出ないからさ」
「ん……、わかった。ありがと、悠介」
  悠介に促され、享介はそっと瞼を閉じる。頭に悠介の手が触れたのに気が付いたのは、その直後のことであった。愛おしむような手付きで何度も何度も撫でられて、心地よくて仕方がない。片方の手は繋がれたまま、もう一方でも悠介に触れられて。享介の心に、言葉にできないほどの煌めきが降り積もってゆく。
  相変わらず身体は悲鳴を上げているというのに、心だけは満たされている。悠介が傍にいるという、その事実だけで。この心地よさに身を委ねて、今にでも意識を奥底へと仕舞い込んでしまいそうだ。
  段々と意識が遠退いていく中、手の甲に何かが触れたような気がした。けれどもそれが果たして夢か現か、今の享介にはわからなかった。

2017年にTwitterにて行ったコピー本プレゼント企画で執筆したお話です。当時リクエストをくださったフォロワーさん、本当にありがとうございました。